硫黄島の戦い:知られざる「非戦闘員」の貢献と一次史料が語る真実

クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』は、太平洋戦争における硫黄島の激戦を描き、日本軍守備隊の視点からその悲劇を伝えています。しかし、この壮絶な戦いには、将兵だけでなく、これまであまり語られてこなかった「非戦闘員」である軍属や島民も深く関わっていたことが、新たな研究で明らかになっています。北海道新聞記者・酒井聡平氏の著書『死なないと、帰れない島』が、一次史料に基づいてその真実に迫ります。

硫黄島の戦いにおけるアメリカ軍の星条旗掲揚。象徴的な光景の裏に知られざるドラマが存在します。硫黄島の戦いにおけるアメリカ軍の星条旗掲揚。象徴的な光景の裏に知られざるドラマが存在します。

戦史に欠けていた視点:軍属と島民の役割

第2次世界大戦屈指の激戦地として知られる硫黄島には、数多くの戦記が存在します。しかし、それらの戦記には一つの共通点があります。それは、最高指揮官である栗林忠道中将以下、将校や兵士といった戦闘員の視点から記されていることです。軍隊を補助する民間人である「軍属」の視点から書かれた記録はほとんど存在せず、彼らの役割や経験は極めて限定的な情報に留まっています。

軍属とは、食事の準備、事務作業、大工仕事など、多岐にわたる任務で軍を支える非戦闘員です。彼らは戦闘訓練を受けておらず、本来は直接戦闘に参加する立場ではありません。しかし、硫黄島には本土や朝鮮半島出身者に加え、1944年7月の本土疎開の対象外となった16歳以上の男性島民103人を含む多数の軍属が存在しました。彼らは本当に戦いに参加しなかったのでしょうか。

国立公文書館の電報が明かす「非戦闘員」の奮戦

硫黄島の防衛戦において、非戦闘員である軍属も戦闘に加わっていたという事実を伝える貴重な一次史料が存在します。それが、本土側で受信された海軍の電報を集めた国立公文書館所蔵の『硫黄島方面電報綴』です。

この電報綴によると、米軍上陸から9日目の1945年2月27日午後11時26分、硫黄島の海軍通信隊が本土へ次のような電報を発していました。

〈海軍部隊モ工員ニ至ル迄続々斬込ニ参加従容トシテ自若死地ニ投ジ多大ノ戦果ヲ挙ツツアリ陸軍幹部ニ至ル迄感激ス〉

硫黄島は陸海軍が共同で防衛を担う戦略的要衝であり、地上戦の指揮は陸軍の栗林中将が執っていました。本来、海上での攻防を専門とする海軍の部隊が、十分な陸上戦闘訓練を受けていないにもかかわらず、身を挺して「斬り込み」(危険な突撃)に参加していたことに、陸軍側は深く感激していました。そして、さらに陸軍の感激を大きくしたのは、その危険な斬り込みに、戦闘員ではない「工員」が加わっていたという事実です。「工員」とはすなわち軍属のことであり、その中には硫黄島出身の島民たちも含まれていたと伝えられています。

上空から見た激戦地、硫黄島の須良淵山。島民や軍属が生活し、そして戦った場所です。上空から見た激戦地、硫黄島の須良淵山。島民や軍属が生活し、そして戦った場所です。

硫黄島の真実:多角的な視点から歴史を読み解く重要性

硫黄島の戦いは、その激しさから多くの物語が語られてきましたが、その多くは戦闘に直接関わった将兵の視点に限定されていました。今回紹介した軍属や島民といった「非戦闘員」が、命を懸けて戦闘に参加し、多大な貢献をしたという事実は、歴史の語り継がれ方における重要な欠落を示しています。

この一次史料が明らかにする真実は、硫黄島の戦いの全貌を理解する上で不可欠です。栗林中将の指揮下の奮戦だけでなく、知られざる民間人の犠牲と勇敢さを認識することは、戦争の記憶をより豊かにし、多角的な視点から歴史を読み解くことの重要性を私たちに教えてくれます。

参考文献

  • 酒井聡平 (2024). 『死なないと、帰れない島』. 講談社.
  • 国立公文書館所蔵. 『硫黄島方面電報綴』.