志村康さんが92歳で逝去されました。ハンセン病という不治の病と、それに伴う国の隔離政策という二重の苦しみと闘い続けた志村さんの人生は、私たちに多くのことを教えてくれます。この記事では、志村さんの功績を振り返り、その不屈の精神に敬意を表します。
人権侵害と闘った人生
志村康さんは、佐賀県出身。1948年にハンセン病と診断され、熊本県の国立療養所「菊池恵楓園」に入所されました。当時、ハンセン病は誤解と偏見に満ちた病気であり、患者たちは社会から隔離され、人権を侵害されるという過酷な状況に置かれていました。
志村康さん(2019年11月21日撮影)
志村さんは、この不条理な現実を変えるため、立ち上がりました。1998年、ハンセン病国家賠償請求訴訟の原告副団長として、国を相手に提訴。当時、元患者への差別は根強く残っていましたが、志村さんは自ら顔を出して被害を訴え、世論を喚起しました。
国の謝罪と歴史的判決
熊本地裁は、国の隔離政策を違憲と判断し、国の賠償責任を認めました。当時の小泉首相は控訴を断念し、判決は確定。国は元患者に公式に謝罪しました。これは、志村さんをはじめとする原告団の粘り強い闘いの賜物でした。
この判決は、2019年6月のハンセン病家族訴訟判決にも大きな影響を与えました。家族訴訟では、元患者家族への偏見・差別についても国の責任が認められました。志村さんの闘いは、ハンセン病患者とその家族の人権回復に大きく貢献したのです。
菊池恵楓園資料館で展示品への思いを語る志村さん
志村さんの遺志を継いで
志村さんの闘いは、私たちに多くの教訓を残しています。偏見や差別と闘う勇気、そして人権の尊さについて、改めて考えさせられます。ハンセン病の歴史を風化させず、未来へと語り継いでいくことが、私たちの責務と言えるでしょう。
志村康さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
この問題についてさらに深く知りたい方は、厚生労働省のウェブサイトや、ハンセン病に関する資料館などを訪れてみてください。 また、jp24h.comでは、社会問題に関する様々な情報を発信しています。ぜひ他の記事もご覧ください。