石原慎太郎氏。その名は、日本の文壇と政界に深く刻まれた偉大な存在です。歯に衣着せぬ発言で常に注目を集め、燃え盛る太陽のような存在感がありました。しかし、どんな太陽にも沈む時が来ます。2022年にこの世を去った石原氏の最期を、四男であり画家の石原延啓氏が語ります。父・慎太郎氏が遺した言葉とは一体どのようなものだったのでしょうか。
石原慎太郎、死を前にした本心
石原慎太郎氏は、2021年12月半ば、病床で延啓氏にこう語りました。「最後まで足掻いて、オレは思いっきり女々しく死んでいくんだ」。
当時、石原氏は親友であった高橋宏氏(日本郵船元副社長、2021年6月逝去)の思い出話をしており、高橋氏が敬愛していた幕末の剣豪・山岡鉄舟の最期について話題が及びました。山岡は胃がんを患いながらも死期を悟り、最期の日に弟子や家族を前に座禅を組んだまま息を引き取ったと伝えられています。
しかし、この凛とした最期の話に、石原氏は共感しなかったようです。「オレは女々しく死んでいく」という言葉は、彼の偽らざる本心だったのでしょう。常に本心を語りながらもどこか格好つけているような、いないような… そんな石原慎太郎らしさが、最期まで貫かれていたと延啓氏は振り返ります。
石原慎太郎氏
遺稿「死への道程」に込められた想い
石原氏は、膵臓がんの再発と余命3ヶ月の宣告を受けた後、自身の心境を綴った遺稿「死への道程」を執筆しました。延啓氏の「今の心境を描写してみては?」という提案に対し、石原氏は「日記を書く」と答えたものの、実際に書き上げたのはこの原稿でした。
石原氏は「死への道程」をすぐにでも「文藝春秋」に掲載したいと考えていましたが、家族は病状が公になることを懸念し、手元に残すことを決断しました。もし石原氏がこの事実を知っていたら、きっと激怒したことでしょう。
家族だけが知る、石原慎太郎の素顔
延啓氏の証言からは、著名人としてではなく、一人の人間としての石原慎太郎氏の姿が浮かび上がってきます。病床にあってもなお、自分の死生観を率直に語り、創作意欲を持ち続ける姿は、まさに「石原慎太郎」そのものでした。彼の最期の言葉は、私たちに「生き方」そして「死に方」について改めて考えさせる力を持っています。
著名人の最期は常に注目を集めますが、家族だからこそ知る一面もまた、大切な記録と言えるでしょう。延啓氏の証言は、石原慎太郎という人物の複雑さ、そして人間としての魅力を改めて私たちに伝えてくれます。