石原裕次郎が亡くなった時は“デスマスク”を描かせ…石原慎太郎が闘病中に問い続けた「自分が死んだらどうなるのか」


【写真】この記事の写真を見る(3枚)

 文壇と政界に、巨大な足跡を残した石原慎太郎(1932〜2022)。その歯に衣着せぬ物言いは、常に世間の耳目を集めた。しかし、いくら燃え盛った太陽も、いつかは沈む。その最期を看取った、画家で四男の延啓(のぶひろ)氏が明かす、父・慎太郎が遺した言葉とは。(全3回の3回目/ はじめから読む )

 ◆ ◆ ◆

「自分が死んだらどうなるのか」

 利き手の左手に麻痺が残り、足が弱くなったのを自覚したせいもあるでしょう。リハビリには精を出していました。近所に住んでいた私が車を運転していると、老人が周りを気にせずに道のど真ん中をウォーキングしている。「迷惑なじいさんだなあ」と思いながら近づいてみると父であることがよくありました(笑)。ウォーキングから帰ってくると、玄関でスクワットを20回するのが決まり。利き手が不自由になっても「昔はもっと上手かったのに」と怒りながら整理した自宅の画室で絵を描いたりして、リハビリに余念がなかったようです。

 父は、仏教や神道の各宗派の方々との交流も深く、法華経の現代語訳をはじめ仏教関係の本も書いていますが、しばしば「宗教は信じていない」「神もいない」と発言することもありました。そして何よりも、自分が死んだらどうなるのかを気にしていたように思います。晩年にはジャンケレビッチの『死』が愛読書となり、書斎の机の横には必ず置いてありました。

 12月のある時、病床で突然に、

「オレはわかった! 人は死んだら自分にとっての神と出会うんだ」

 と大きな声で言ったこともありました。

 数年前に父の家で酒を酌み交わしながら東北の被災地における体験などについて話をしていた際には、

「もしオレが死んだ後、おまえが困っていたら、必ずオレは幽霊になって現れてやるからな」

 と言ってくれました。珍しいことを言い出すなと思いながら、息子としてそれなりに感動していたのですが、その後「いや、死後の世界は存在しない。虚無だけだ」と言うからガッカリ(苦笑)。



Source link