いきものがかりといえば、「SAKURA」「YELL」「ありがとう」など数々の名曲を世に送り出し、幅広い世代から愛される国民的アーティスト。しかし、華々しいデビューの裏には、下積み時代の苦労や意外なライバルとのエピソードが隠されていました。今回は、彼らが路上ライブで挑んだ新百合ヶ丘の覇者、そしてその意外な正体について深掘りします。
無名時代のいきものがかり、新百合ヶ丘での苦戦
メジャーデビュー前のいきものがかりは、神奈川県の新百合ヶ丘駅周辺で路上ライブを行っていました。しかし、思うように観客が集まらず、苦戦を強いられていたそうです。『日曜日の初耳学』(TBS系、5月4日放送)に出演したメンバーの水野良樹さんは、当時の状況を振り返り、ある強力なライバルの存在を明かしました。
いきものがかり 水野良樹
新百合ヶ丘には、路上ライブに最適な広場があったそうですが、そこを独占していたのが、当時人気絶頂だったあるグループ。ボーカルの吉岡聖恵さんも、「新百合ヶ丘って全然お客さんが止まってくれないんですよ」と当時の苦労を語っています。
新百合ヶ丘の王、その正体は…!?
一体、いきものがかりを苦しめた新百合ヶ丘の王とは誰だったのでしょうか?水野さんは、その正体がなんと、お笑い芸人の狩野英孝さんだったことを明かしました。
「新百合ヶ丘の天才」と水野さんが呼ぶ狩野さんは、当時、セントラルステーションというユニットを組んで音楽活動を行っていました。その人気は凄まじく、100人以上の観客を集めることもあったそうです。
音楽関係者によると、「狩野さんは日本映画学校(現・日本映画大学)の在学中から音楽活動に熱心で、週に2回ほどストリートライブを行っていました。その人気ぶりから、警備員が出動することもあったそうです」とのこと。
いきものがかりは、そんな狩野さんの圧倒的な人気に太刀打ちできず、最終的に新百合ヶ丘からの撤退を余儀なくされたといいます。
狩野英孝、芸人だけでなくミュージシャンとしての顔も
狩野さんは現在、芸人として活躍する一方で、50TAという名義で音楽活動も行っています。水野さんは当時の狩野さんの人気について、「いやいやいやいや、すごい人気だったんで」と語り、林修さんも「勝てるでしょ?」と驚きの声を上げていました。
青春時代のライバル、いつか共演なるか?
下積み時代のいきものがかりにとって、狩野さんはまさに強敵であり、同時に青春時代の思い出の一部となっているのではないでしょうか。いつか、いきものがかりと狩野英孝さん、もしくは50TAのコラボレーションが実現する日が来るかもしれません。その日が来ることを、多くのファンが心待ちにしています。