<iPS細胞から作成した心臓など興味深い展示もあるが、パビリオンにメタンガスの測定器が配られたといった心配なことも>
大阪・関西万博に行った。フランスのラジオ局および日刊紙の特派員としてだが、どうだったと聞かれたらたぶん「悪くなかった」と答える。アメリカ、中国、フランス、ベルギーやカタール(写真)、あるいはメディアアーティストの落合陽一さんのパビリオンの形や材料、色はとても印象的だ。
残念なことに、中身の良し悪しはまちまちだ。映像やプロジェクションマッピングが多すぎることにうんざりしたが、一部の日本のパビリオンには興味深い物が確かにあった。
iPS細胞から作成した小さな心臓がその1つ(パソナ)。あるいは牛の細胞と3Dプリンターを使ってできた培養肉(大阪)。食べたくないが、こんな発想があるなんて驚きだ。
大阪大学大学院の石黒浩教授のパビリオンは最も違和感を覚えたところだ。石黒氏の研究はおよそ20年前から知っているが、人の死後、アンドロイドが命を引き継ぐというコンセプトには個人的に賛成できない。
命と死は文化や宗教との関係が深く、非常にデリケートな話だから、万博ではもっと慎重な形で紹介されればよかった。
「AIすごい」を強調するよりも……
当然のことだが、万博を楽しめるかどうかはそれぞれの来場者による。とはいえ、全体的に誰にとっても不便なことが多い。
スマホを使用しないと分からないこと、できないことが多くてお年寄りはかわいそう。外国人向けサービスの一部は驚くほどひどい。
ホームページのフランス語版は意味の通らないフランス語だ。「英語から機械翻訳した」と日本国際博覧会協会は説明するが、非常に性能の低いソフトが使われたのではないか。
中国語と韓国語も同じ状況だとネイティブの人が証言した。改善しない限り、「多言語の万博」を政府も博覧会協会も自慢するのはやめたほうがいい。
パソコンやスマートフォンでどんな情報も得られる今、高額のパビリオンを建て、多くの人が集まる万博は「時代遅れ」と批判の声もあったが、私は必ずしもそうとは思わない。映像などより、ライブ演奏やダンス、芝居、未来のもの(プロトタイプでもいい)、食べ物を体験させるなら意味がある。
何でも生成AIで作れる時代だからこそライブは価値が高い。大阪万博は「AIすごい」を強調するより、「生きている人間、想像・創造する人間、アーティストのほうがはるかにすごい」と示すべきだった。