韓国は終わった(South Korea is over)。世界の登録者数が2380万人にのぼるドイツのユーチューブチャンネルが載せた映像のタイトルだ。太極旗(韓国の国旗)が溶け落ちるぞっとするようなグラフィックをサムネイルにして、韓国の少子化は経済・社会・文化・軍事のすべての面で韓国を崩壊させるはずで、すでにいかなるものも状況を好転させることはできないという予測を15分内の時間に伝えた。一言でいえば大韓民国終末予言だ。
超少子化をもたらした複合的で構造的な問題をこれ以上無視できないということは誰もが知っている。これまで最も積極的に意見を表明してきた韓国銀行(韓銀)の李昌鏞(イ・チャンヨン)総裁は、出生率だけを局地的に攻略する政策の限界を指摘しながら、社会文化的で構造的な大革新が必要だと繰り返し強調してきた。首都圏の過密、肥大した私教育市場、共同体破壊レベルの深刻な競争主義、硬直した労働市場のような構造的な原因は数えきれないほど聞いていて、むしろ無感覚になる状況だ。何が問題なのかを知りながらもここまで来たということ自体が、私たちが解決しなければいけない問題だ。
「韓国は終わった」映像に付いた韓国人の書き込みを見ると、仕事をしながら家庭を築き、子どもを産んで育てる平凡な生活が可能でないとあきらめるような反応が大半だ。性役割により仕事と家庭を分ける差別的な認識はもう過去とは違って大きく改善されている。3月に国民統合委員会が女性政策研究院に依頼した調査の結果によると、「結婚した男性も家族の状況によって仕事を減らすことができる」に対して男性の58.2%(女性は63.4%)が同意し、「家族の世話をするために男性も時間を確保しなければいけない」も男性68.8%(女性は83.9%)の同意率だった。女性の経歴を通した自我実現を当然視するだけに、家庭の領域で男性も共に役割を果たすべきという価値観が定着しつつあることを確認できる。しかし認識が改善したところで仕事と家庭を両立できる経済的・社会的条件が整っていなければ出生率の反騰は期待しにくい。
2023年度を基準に少子化関連予算は計23兆5000億ウォン(約2兆4000億円)支出されたが、その大部分の20兆5000億円は養育費支援に使われたという。養育費支援は出産奨励金や児童手当など主に直接的な現金性支援だ。一方、育児期の短縮勤務支援や育児休職、職場保育施設などを支援する仕事-家庭両立予算は養育費支援に比べてわずかな水準だ。現金性支援を減らしても仕事-家庭両立事業投資を増やす方式で果敢な予算の再構造化が求められる。このほか女性家族部、雇用労働部、保健福祉部など複数な経路に分かれた事業の調整を通じて重複性事業を整理し、死角地帯をなくす努力も必要だ。では、仕事-家庭の両立は、認識が変わって政策的支援と制度があれば可能なのだろうか。
問題の底辺には、人を使い込んで成果を出そうとする、韓国社会全般に根深く定着した組織文化がある。このような文化の中では、あたかも沼に落ちた人がもがくほどさらに沈んでいくように、熱心に生きれば生きるほどその個人がむしろ疲弊するしかない。韓国の圧縮的成長がもたらした最大の副作用は、個人であれ、制度であれ、組織であれすべて限りない膨張と成長に向かって人を使い込むことを当然視することになった点だ。職種により自嘲的に作られた表現が、私たちが努めて目を背けてきた問題をそのまま表している。例えば青年たちの「情熱ペイ」や看護師の「テウム」のようにグーグル翻訳機に入れても外国語にうまく翻訳されない言葉がそれだ。長時間労働や超過勤務が当然視され、インフラや資源投入の不足を長時間労働で埋めるのが誠実さ、勤勉、責任感のような力量として包装される。このため育児休職を使うには上司の顔色を見ることになり、短縮勤務をする場合は同僚に申し訳ない気持ちが先立つ。さらには教育であれ、企業の成果であれ、スポーツや韓流文化産業にいたるまで、人の時間と努力を余すところなく注ぎ込んで成長と繁栄を追求する基本モデルを維持する限り、仕事-家庭の両立は遠ざかるしかない。
慣れた行動パターンを変える大転換はあたかも互いにかみ合って動いていた歯車を止めるように、韓国社会のあちこちに問題が生じるしかない。何より今はもう無条件に成長と膨張を追求する慣性的目標を手放さなければいけない。
この過程で出てくる不満と葛藤、混乱を考えると、市民が耐えなければならない苦痛を説得できる道徳的権威と長期ビジョンを備えた政治指導者の存在がいつよりも重要だ。世論の風向きを敏感に読み取り、状況判断と勢力計算に優れているからといって誰でも指導者になれるのではない。それは有能な政治家なのかもしれないが、真の政治指導者とは呼びがたい。
キム・ウンミ/ソウル大言論情報学科教授