安定的な皇位継承に向けた皇族数確保をめぐり各党での議論が続くなか、注目が集まっているのが、「女性皇族」という存在とその役割だ。皇族の減少に歯止めがかからない状況ではあるが、公務やご自身の職業、研究活動といったさまざまな分野で、いきいきとした表情で活躍する女性皇族の存在感は高まっている。社会学と消費文化論の立場から、新聞や雑誌報道における皇室を分析してきた桃山学院大学社会学部の石田あゆう教授に聞いた。
【写真】カッコイイ!のため息。愛子さま水色のパンツスーツ姿が万博で話題に
* * *
〈今日万博に来ていて、大屋根広場が、一時、愛子さまショーに!〉
天皇、皇后両陛下の長女の愛子さまが、5月8、9日に大阪・関西万博を訪問した。視察先のパビリオンなどに愛子さまが姿を見せると、周囲は人びとの歓声と熱気に包まれ、現地では何度も「愛子さまフィーバー」が巻き起こっていた。
〈水色傘コーデの愛子さま 笑顔が素敵すぎます〉〈お肌が白くて、お顔も小さくて〉
SNSには、愛子さまの写真や動画とともに、興奮冷めやら様子のコメントが次々に投稿された。
令和の皇室で特に人気の高いのが、愛子さまだ。皇室行事や晩餐会、注目度の高い公務に出席すれば、ドレスや着物の色がテレビの速報で流れる。
秋篠宮家の次女の佳子さまも人気のある女性皇族のひとりだ。佳子さまが海外訪問や地方公務に臨めば、洋服やアクセサリーのブランドが報じられ、商品には注文が殺到するのが常だ。
女性皇族に関するファッションや子育て、教育、恋愛といった日常につながる話題は、皇室報道のメインになりやすい――。
そう話すのは、桃山学院大学で社会学・消費文化論を専門とする石田あゆう教授だ。
当然、「ファッションは皇室報道の本質ではない」と、いう批判は昔からある。
だが、石田さんは、実はそうした現象こそがよくも悪くも、「皇室への無関心」の回避に役立ってきた、と指摘する。
「興味深いのは、皇位継承権を持たず、皇室での明確な『役割」が規定されていない女性皇族が、国民と皇室を結び付けてきたという点です。その構図は戦前から令和のいままで大きくは変わりません」(石田さん)
女性皇族の存在こそが、皇室を支え続けてきたともいえる。
皇室のファッション報道といえば、「ミッチーブーム」以降のことだと思いがちだが、皇室情報の氾濫は珍しいことではなく、それ以前から存在している。
明治の終わり頃から急増した皇室グラビアは、「ブロマイド」としての役割を持っていたし、親しみやすさを伝える記事やスナップ写真などは、戦前から大量に流通していた。
そこには、皇室ファッションと政治が生々しく結びついた時代背景があった。
石田さんによれば、日本における洋装の普及は、徴兵制を課せられた男性の方が比較的早く、一般の女性の間に広く浸透したのは、太平洋戦争以後のことであった。
「近代皇室における正装は洋装。とくに、天皇の軍服姿は広く国民に知られました。ドレスに身を包んだ皇后や子どもたちの洋装写真は、庶民との違いがひと目でわかるものでした。それは、『皇室が特別な存在である』との印象づけに、非常に効果的であったといえます」
人びとは、洋装化した皇室を目にすることで日本の近代化を実感した。
太平洋戦争が激化し物資欠乏時代に入った1943年ごろには民間の「洋装」は軽佻浮薄、享楽的の象徴とみなされ、皇族女性の「洋装」と齟齬をきたした時期もあったものの、近代皇室における洋装は、日本における西欧化のシンボルとしての役割を果たす存在であった、と石田さんは話す。
その後、1945年の敗戦によって皇室は先の見えない時代に入ってゆくが、皇室と人びとの懸け橋となったのも、やはりファッションであった。