渡邊渚インタビュー「病んでる人間がグラビアに出るな」“元気そう”でいることが叩かれる、この社会で(聞き手・吉田豪)


毎年書いていた遺書が「本物」になる危機感

渡邊 そういう感じですね。あの年は書けなくて。書いたらその遺書が本物になっちゃいそうと思っていました。

――遺書といっても基本、ポジティブな内容ではあるんですよね。

渡邊 そうですね。これからの人生で何をしたいか考えて、道しるべになるような計画書みたいな感じにもなってたので。それが、いま書いたらこれホントに遺書になっちゃう、これから自殺しちゃうかもって。

――希望や夢を失った段階で書くのは危険ですよね。

渡邊 はい。なので無理かもと思って。でも、なんにも書かないのも変だしなって思ってました。

――それで、書ける範囲でとりあえず現状を報告した、と。……ホントにお疲れさまです。

渡邊 いやいや、私ひとりではここまで元気になれなかったので。

――運もあるじゃないですか。病院に行ったものの、医者と合わなくてそれっきり通わなくなっちゃう人もたくさんいるし。

渡邊 いますね。たまたま運がよかったのと、あとは私のもともとの性格もポジティブに働いたんじゃないかなとは思いますね。負けたくない、みたいな。ぜんぜん気が強いわけではないんですけど、ぜんぜん弱いし。でも最後の最後、あとちょっとだけ生きてみようかな、みたいなパワーがほんのちょっとだけあったっていう。

――気が強いわけではないのかもしれないけど、芯は強いタイプなんだろうなと思ったんですよ。

渡邊 ぜんぜん自覚はないんですよね。

――女子アナ時代から「私は玉の輿という言葉が嫌いです」みたいなことも言ってました。

渡邊 それは嫌いです。子供の頃からそうなんですけど、女とか性別で区切られるのが好きじゃなかったんですよ。両親の育て方的にも、私は妹がいるんですけど、ふたりとも女ひとりでも生きていけるように、そういう時代だからっていう感じだったし、行った学校も「男性に頼る人生を送るの?」みたいなスタンスの学校だったんです。だから自立した人間になるっていう気持ちは大きくて、子供の頃から玉の輿って言葉は気持ち悪いなと思ってましたね。

――ところが、女子アナのゴールはだいたいそういうもの、みたいな感じで思われてましたからね。

渡邊 そういう人たちがいたからこそ、まかり通ってきちゃったんだろうなと思うんですよ。自分の仕事上あまり関係のなさそうな人との食事に連れて行かれることも多々ありましたし。

――「私は早く帰って家でボトルシップ作りたいのに」って(笑)。

渡邊 そうですね。でも、世間から見たら女子アナという枠でひと括りにされるわけじゃないですか、キャピキャピしてて玉の輿しか考えてない、野球選手大好きみたいな、勝手にそういうレッテルを貼られちゃう、でもぜんぜん違うんだけどなーと思ってました。

――当然いろんな人がいますからね。

渡邊 括らないでと思ってましたね。

――そういうものが好きじゃない人だったわけですよね、飲み会的なものもそうだし。

渡邊 そうですね。休んでようやく外界とちゃんと接して、ふつうの一般企業にはデスクの下に「ハラスメントがあったらここに連絡してください」という紙が貼ってある、と。それが女性社員にとっては守りの電話にもなるし、男性社員にとっては戒めの電話になる。何かあったらここにすぐ連絡できるんだっていうのを提示されてるって、銀行とか不動産会社に勤めてる友達の話を聞いて、「そうなんだ!それが社会の一般か!」と思いましたもん。遅れてたなって。でも、中にいたら自分たちが遅れてるっていうことに気づかないんだなって。いまいろんなところでお仕事して、仕事相手は芸能だけじゃないので、いろんな世界を見て「はぁ……」って。

――どこも結構ちゃんとしてる。

渡邊 ちゃんとしてます。いま福祉的な仕事もしてるから、こういうお仕事もあるんだな、こうやって社会で救われていったりっていう流れができるんだなっていうのを勉強してて、すごく視野が広がりました。



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