現在、68歳。美容ジャーナリストとして第一線を走り続けてきた天野佳代子さん。雑誌をはじめとする各メディアに登場して、美容情報のみならず、その思考や生き方も多くの女性の注目と支持を集めています。そんな天野さんの考える人生100年時代、何度でも開花する生き方とは?
この前編では、天野さん自身のキャリアと人生のストーリーに迫ります。コラムニスト・芳麗さんによる新しい時代の人物伝です。
■テレビ出演をきっかけに 62歳で大ブレイク
――私は長らく雑誌に寄稿しているので、美容雑誌の編集長であり、美容ジャーナリストとしての天野さんを、当然、存じ上げていましたが、世の中に天野さんの存在が広く知られるようになったのは、約5年前。テレビ番組『マツコ会議』に出演されて、“奇跡の62歳”というキャッチコピーがつけられた時ですよね。
当時、小学館から『美的GRAND』という美容雑誌が創刊されて。私が編集長を務めていたこともあり、会社からプロモーションもかねて出てほしいという依頼があったんです。ずっと編集者という裏方として働いていたし、表に出るのは性に合わなくて嫌だったんですけど、雑誌のためならと思って出演させていただくことになって。
――テレビ出演をきっかけに広く注目を集めて、その後も60代でご自身の初の書籍を出版されたり、近年では、YouTubeも始められました。
人生、何が起こるかわからないですよね。
――これまでのキャリアについて聞かせてください。もともとは漫画家志望だったそうですね。
そうなんです。小さい頃から漫画が大好きで、「漫画家になりたい!」と思っていました。絵を描くのが好きで、夢中でノートにキャラクターを描き続けるような子どもでした。
――本格的に漫画家を目指されたのですか?
高校卒業後、グラフィックデザインの専門学校に進みました。絵の技術を磨いて、漫画家としてデビューしたかったんです。でも、現実はそんなに甘くなくて。周囲にはすでにプロとして活躍している人もいて、漫画家として生計を立てるのは厳しい世界だと実感しました。
――そこで方向転換を?
どうやって生きていこうかと悩んでいた時、当時、お付き合いしていて、後の夫となるミュージシャン、NSPの天野滋の紹介で、ヤマハのプロダクションでアルバイトをすることになったんです。そこでアーティストのファンクラブ会報の編集をするようになって。やはり好きだった音楽の世界にどっぷり浸かってお仕事をしていました。