「デビュー当時から怖かった」松本明子ですらピリつく「渡辺プロの大先輩」実名告白


【写真あり】“事務所全体で仲がいい”と胸を張って言う松本さん

そう神妙に語るのは、“元祖バラドル“として長年活躍している松本明子(59)。所属するワタナベエンターテインメント25周年を記念したコンサート『ワタナベ25thコンサート ハッピーバースデー&サンキュー』が6月に開催される。今年は同事務所の前身・渡辺プロダクションが創立70年という節目。そこでコンサートに出演する松本に渡辺プロ秘史を聞くべく、デビュー当時を振り返ってもらうと……。

「デビューできたのは良かったのですが、デビューしてすぐに“言ってはいけないこと”を生放送で言ってしまいまして……」

そう苦笑いした。松本は1982年にオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で合格すると、翌年に『××Kiss(オス・メス・キッス)』でアイドル歌手としてデビュー。しかし中森明菜(59)や小泉今日子(59)ら前年にデビューした“花の82年組”の圧倒的パワーに押され、自身が思い描いていたようなスポットライトはなかなか当たらなかった。

「アイドルとしての格差を感じていました(笑)。レコードも全く売れず、全国のレコード店やデパートの屋上で歌うキャンペーンばかりでした。ただ、ありがたいことに当時、一人だけ私を応援してくれる“親衛隊長”がいらっしゃって、その方が売れっ子アイドルたちの親衛隊員をサクラとして借りてきてくれたんです。人気があるように見せてくれたおかげで徐々にお客さんが増えていき仕事も入ってきました。この方は42年経った今も応援してくれています」

そして1984年に事件は起こる。松本は『オールナイトフジ』(フジテレビ系)と『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)がコラボしたテレビとラジオの二元生放送中に“放送禁止用語”を連呼してしまう。

「(片岡)鶴太郎さんと鶴光師匠が悪ノリして“この言葉を言うと有名になれるよ”と言ったことを信じてしまいまして……。何となく言ってはいけないと思いながらも、“これを言ったらおいしいのかな”“何か爪痕を残したい”……当時の私は売れるためにすがるような思いでした。しかし、言った瞬間にスタッフに羽交い絞めにされてスタジオから出されるとマネージャーにタクシーへ押し込まれて寮に帰されました。寮に戻って“これは大変なことをしてしまった”と落ち込んでいると翌日から仕事のスケジュールは白紙に。スポーツ紙ではなく一般紙の社会面に《新人歌手、放送禁止用語発言》という見出しが出てしまいました。両親は伝手を使って地元・香川県のテレビ局で娘の晴れ姿になるはずの生放送を観ていたそうですが、私の発言に椅子から転げ落ちたそうです(笑)」



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