コメだけではなく「海苔」も不作…原因は“綺麗すぎる海”にあり? 「垂れ流しの頃がよかった」漁師の嘆き


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(前後編の前編)

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※この記事は『ウンコノミクス』(山口亮子著、集英社インターナショナル)の内容をもとに、一部を抜粋/編集してお伝えしています。

海苔の養殖と下水道

 江井ヶ島漁業協同組合 (兵庫県明石市)組合長の橋本幹也さんがぼやく。

 橋本さんが播磨灘に面したこの地域で漁師になったのは、1979年のこと。海苔の養殖と、タコ壺漁、刺し網漁をしている。

 当時は魚もタコも獲れ、養殖も順調だった。「まさに右肩上がりの時代」だったと振り返る。 明石の海は今、沖合に出れば海水面から10メートル下まで見通すことができる。「昔 の3倍くらいは見通せるようになった」と橋本さん。

 それと同時に、魚もタコも獲れる量が以前より減り、海苔は品質の低下に悩まされている。 江井ヶ島漁協の取扱高は年間6〜7億円ほどで、その9割以上を養殖の海苔が占める。屋台骨ともいうべき海苔が、黒く色付かずに薄茶や緑色になってしまう「色落ち」を起こしている。窒素やリンといった栄養の不足が原因だ。

 水は澄んだが、海が豊かでなくなった。これが水産関係者の共通認識になっている。

「瀕死の海」から貧栄養の海へ

 瀬戸内海はかつて、養分が多すぎる「富栄養化」が進んでいた。水中の植物プランクトンが異常に増殖し、水が赤く変色する赤潮が、特に問題となった。赤潮は、高度成長期の1960年代から、瀬戸内海に限らず国内で急増した。

 人口が都市に集中し、工場や生活排水に含まれる窒素やリンが過剰に海に流入したためだ。赤潮はときに魚の大量死を招く。原因として、プランクトンが放出する毒素による中毒や、酸欠などが考えられている。

 赤潮は1970年代から瀬戸内海の漁業に深刻な被害を与えていき、1972年には国内最大の赤潮被害が播磨灘で起きる。養殖のハマチ1400万尾が死に、71億円の被害が生じたとされた。漁師らが国を相手取って損害賠償を求める「播磨灘赤潮訴訟」を起こした。

 国は、瀬戸内海の水質保全を目的に「瀬戸内海環境保全臨時措置法(以下、瀬戸法)」を1973年に制定する。1978年に臨時法を恒久法に改め、特別措置法とした。「瀕死の海」と呼ばれるほど汚濁の進んだ瀬戸内海。その水質を改めるべく、排水の規制を厳しく定めた。半世紀以上が経った今、かつて富栄養化に悩まされた海は、見違えるように澄み渡った。それが行き過ぎて今は逆に貧栄養化しているというのだ。



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