空前のヒット飛ばす「恋川春町」の悲しすぎる最期 《二足のわらじ》で本は次々と売れたが


【写真】恋川春町の作品

 「酒上不埒(さけのうえふらち)」

 そんなふざけた狂歌名を名乗ったことから、酒の席ではだらしない姿を見せることもあったのかもしれない。それでもやるときはやる、そんなクリエーターだったのだろう。

 一度でも大ヒットを出すだけでも難しいのに、二度も自身の作品で大ムーブメントを引き起こした恋川春町(こいかわ・はるまち)のことである。

 武士でありながら、絵師や戯作者、またときには狂歌師の顔を持ったこの男は、江戸時代中期に花開いた町人文化を、どのように盛り上げたのだろうか。

 宝暦13(1763)年には、駿河小島(おじま)藩に出仕。同年、20歳のときに父方の伯父で、駿河小島藩士である倉橋忠蔵の養子に入り、本名が「倉橋格(いたる)」となった。

 小島藩では「中小姓」「小納戸」「取次」「側用人」「用人」「年寄」と順調に出世を果たしている。喜三二と同じく諸藩の渉外担当役である「留守居役」や、判を押す責任者「加判」などの要職を歴任していることから、マジメな仕事ぶりが上役から評価されていたのだろう。



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