UWFインターナショナルでは“プロレス最強”を背負いながら闘い、PRIDEのリングで総合格闘技に挑んだ髙田延彦。全日本プロレス育ちで“ミスター・プロレス”とまで称された天龍源一郎。プロレスラーとしてまったく別の道を歩んだ2人が、天龍の引退試合を前に語り合っていたプロレスラーとしての「意地と生き様」とは。
*本稿は、別冊宝島編集部の『UWF過剰考察 第一次から3派分裂後までの10大事件』に収録された2015年の対談記事から、一部を抜粋・編集してお届けします。
■「全日本」と「新日本」のヒリついた関係
髙田延彦(以下、高田) 天龍さん、お久しぶりです!
天龍源一郎(以下、天龍) 久しぶりだねえ。
──お会いするのは、どれくらいぶりなんですか?
天龍 「ハッスル」以来ですよ、ねえ?
髙田 そのあとダウンタウンの番組でも一緒になってますね。
天龍 そうだっけ? 俺はね、今朝に何食ったかも忘れてるから(苦笑)。
髙田 それにしても、こうして天龍さんとあらたまって話をするのも、ちょっと緊張しますね。シラフで会うことはなかなかないから(笑)。
天龍 一度、山の上ホテルで対談した時も、シラフだったのは最初の30分だけで、そのあとビール1ケース飲んだからね(笑)。
髙田 結局、ホテル側が「もうお酒は出せない」って言ってきましたから。これ以上飲ませたら、大変なことになると思ったんじゃないかな(笑)。
──ホテル側のレフェリーストップでドローになりましたか(笑)。
天龍 あの時は、ホントによく飲んだね。
──では、お二人の出会いからうかがいたいんですけど、96年に一騎打ちを行うまで、接点はあったんですか?
髙田 いっさいなかったです。テレビで輪島(大士)さんやジャンボ鶴田さんと闘う天龍さんの試合を観るくらいで。団体は違えど、すごいプロレスラーがいるな、と。新日本プロレスの移動バス内で、全日本の試合を観るようになったのは、あの頃からですよ。天龍さんと輪島さん絡みの試合は、みんな観てましたからね。
──それまでの新日本は「全日本なんて」っていう意識が強かったんですか?
髙田 う〜ん、先頭に立ってる猪木さんが、馬場さんを敵対視というか、意識してるのは我々にも浸透してたから、そういうエッセンスみたいなのはあったかもしれないね。