【話の肖像画】シンガー・ソングライター BORO(65)(1)最初のファンは「大阪の女」

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 〈「関西弁」が全国津々浦々に浸透したのは、昭和55年の「漫才ブーム」がきっかけだった。紳助竜介やザ・ぼんちら大阪の漫才師が「発信源」となったが、実はその前年、ある関西弁の歌が有線放送で流れ、夜のちまたにじわじわと拡散した〉

 ♪大阪で生まれた女やさかい 東京へはようついていかん♪ このサビの部分、女の思いが、まず最初にできたのですね。すぐにできました。コード進行も、メロディーも、歌詞も同時に。ただ、これが曲の最初なのか、最後なのか、それとも別の場所かで悩みまして。考えているときは、ほかのことが手につかないのですよ。涙が出てくるんですよ、ここを歌うと。なぜこんなに泣けるんだろう、このフレーズを大事にしたい、という思いがずっとありました。

 〈♪踊り疲れたディスコの帰り♪ で始まるヒット曲「大阪で生まれた女」は2番までとサビ部分を合わせて5分弱の曲だが、BOROが作ったオリジナルは18番まであり、通しで演奏すると34分もかかる。シングル盤としては長過ぎるため、4番と6番に16番の一部を加えて売り出すことになった〉

 曲づくりに没頭して2週間後、詞とメロディーが突然ワーッとあふれてきました。 ♪放課後のグランドで 待ち合わせて帰る♪ 出だしはこんな歌詞。高校時代の自分のこと、専門学校に通った東京でのこと、自分の経験をオーバーラップさせながら、一晩で完成させました。

 〈曲ができたのは、デビューの3年前、23歳のときだった。当時、大阪の歓楽街・北新地のナイトクラブで弾き語りをしていた〉

 歌っていた店は、北新地のホステスさんたちが仕事を終えて集まるたまり場のような所です。当時、店にカラオケはなく、譜面を置いて、歌う客の伴奏をしていました。集まったホステスさんたちに、「大阪で生まれた女」の18番までの歌詞を並べて「はい、どうぞ」「好きなところ、歌いいな」って。上手な人はすぐに覚えます。「じゃあ、わたし、きょうは5番歌う」「先生(店ではこう呼ばれた)、アタシはBフラットで」とかいって歌ってましたね。

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