著名な美術家である横尾忠則氏は、数ヶ月にわたり原因不明の首の激痛に苦しめられ、西洋医学から東洋医学、果ては温泉療法まで、あらゆる手を尽くしました。しかし、いずれの治療法も効果がなく、最終的には「諦念」に至った時、突如としてその痛みは消え去ったといいます。この不可解な体験は、現代科学が解明できない「奇跡」の存在、そして人間の身体が持つ自然治癒力の奥深さを示唆しています。本稿では、横尾氏が語るこの驚くべき回復の軌跡とその背景にある深遠な洞察を紐解きます。
突然の激痛:原因不明の苦悩
2025年3月末、横尾忠則氏を突然、首の激痛が襲いました。日に日に増す痛みは、まさに身を蝕むようでありながら、全く心当たりのないものでした。何が原因なのか皆目見当もつかず、ただ痛みに耐える日々が続いたのです。激痛に耐えかね、近所の整形外科を受診したものの、レントゲン写真には骨の異常は見られませんでした。他の要因が考えられるとの診断を受け、湿布の処方や整体マッサージを試しましたが、痛みが和らぐことはありませんでした。さらに、頸椎専門の有名病院を訪ねましたが、やはりレントゲンでは異常は見られず、「偽痛風」の可能性が指摘されるに留まりました。痛みは痛風の症状を模倣しているというものの、具体的な解決策は提示されなかったのです。
試行錯誤の治療と「偽りの痛み」の連鎖
歯科治療と一時的な緩和
途方に暮れる中、歯の定期検診で虫歯が発覚し、抜歯することになりました。すると不思議なことに、抜歯した右側の首の痛みが一時的に和らぎました。横尾氏は「なんだ、歯が原因だったのか」と一時的に安堵したものの、それは束の間のことであり、再び首の痛みがぶり返してしまったのです。この体験は、痛みの原因が多岐にわたり、時に錯覚を引き起こすことの複雑さを示しています。
草津温泉と東洋医学の限界
かつて帯状疱疹後の神経痛を草津温泉で完治させた経験があった横尾氏は、「もしや」という期待を胸に草津温泉へ向かいました。しかし、今回はその霊験も虚しく、全く効果はありませんでした。近代医学だけでなく、温泉療法も無効であることが判明した横尾氏は、次に鍼灸やあんまといった東洋医学にも活路を見出そうと試みましたが、やはり激痛は治まることはありませんでした。西洋医学も東洋医学も、その痛みの前では無力であり、横尾氏は完全に希望を失い、「この激痛を抱えて一生を生きるしかないのか」と諦めの境地に至ったのです。
著名な美術家、横尾忠則氏。自身の経験について語る。
「諦念」の悟りと奇跡の瞬間
絶望の淵にあった横尾氏は、その時、森鴎外が提唱した「諦念の文学」という言葉の意味を直感しました。痛みと共存するしかないというヤケクソにも近い「諦念思想」を信じようとした瞬間、驚くべきことが起こりました。まるで海の波が沖に引いていくかのように、あの首の激痛がスッと消えていったのです。あたかも今までの激痛がイリュージョンによって創造された「偽痛風」であったかのように、横尾氏は「人間とはその気になれば悟れるものだ!」と歓喜したといいます。しかし、これは単なるイリュージョンであり、実際に痛みが治ったわけではありませんでした。
科学を超えた「奇蹟」の真実
冷静に状況を振り返ると、ある日を境に、本当に痛みが風のようにどこかへ流れていき、「治った」というのが現実でした。別に悟りを開いたわけでも、何らかの治療が奏功したわけでもありません。激痛は、何の理由も原因もなく、勝手に消滅してしまったのです。近代医学も東洋医学も匙を投げた状況で、まさに奇跡としか言いようのない出来事でした。科学万能とAIが隆盛を極める現代において、「奇跡」など存在しないと思われがちですが、横尾氏の体験は、人間の理解を超えた現象が確かにこの世に存在することを示唆しています。
3ヶ月近く横尾氏を苦しめた首の激痛がなぜ治ったのか、その理由は彼自身にも分かりません。「もう勝手にしなはれ」と完全に諦めた、その究極の瞬間に、あの死ぬよりも苦しい激痛が潮が引くように消えたのです。とことん苦しめられ、これ以上苦しめる術がないところまで達した時、痛み自体が手を引いたのかもしれません。痛みが全くなくなると、かえって生の実感が薄れるという皮肉な感想を述べる横尾氏は、この不思議な経験を人生の一部として受け入れ、何者かに感謝するしかない、と結んでいます。
結論
横尾忠則氏の首の激痛からの回復は、現代医学の限界と、人間の身体が持つ不可思議な自然治癒力の存在を浮き彫りにする貴重な体験談です。原因不明の痛みに直面した際の苦悩、多様な治療法の試み、そして最終的に「諦念」に至った後に訪れた奇跡的な回復は、単なる偶然では片付けられない、生命の神秘性を感じさせます。科学や合理性が追求される現代において、このような「奇跡」の物語は、私たちに謙虚さと、未知の可能性への想像力を与えてくれるでしょう。
参考
- 横尾忠則(よこお・ただのり):1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。
- 出典:「週刊新潮」2025年7月24日号 掲載記事
- 新潮社