テレビで流れる「鬼嫁キャラ」から「物おじしない強い女性」というイメージがすっかり定着しているカイヤさん。そうした印象から、子どもと一緒に外出しているときでも、見知らぬ人から心ない言葉を浴びることがあったそうです。(全2回中の1回)
■アメリカは「テレビはあくまでショー」だったけど
── 現在、モデルとして世界を舞台に活動されているカイヤさん。90年代には、バラエティ番組を席捲し、ユーモアあふれる強烈なキャラクターで広く知られる存在となりました。そもそも、それ以前は、どんな暮らしをされていたのでしょうか?
カイヤさん:アメリカのイリノイ州で生まれ育ち、独身時代は世界各国でモデルとして活動していたんです。その後来日してウイスキーのCMに出演したり、ユニチカの水着キャンペーンモデルなども務めました。結婚してからは、家庭に入り、生活を支えるために自宅で英会話を教えていたんです。2人の子どもに恵まれましたが、学費などがかかるため、「なんとかしなくちゃ」と必死でしたね。
そんなとき「バラエティ番組に出てみない?」と知人から誘われて出演したのが『痛快!知らぬはオトコばかりなり』(フジテレビ系)という番組でした。そのころは「夫が大好き!」という、本来の姿で出演していたんです。まだ日本語がつたなくて、言い間違えばかりしていたけれど、かえってそれがおもしろいと言われて、仕事が次々と増えていきました。
── 『笑っていいとも!』にもレギュラー出演されていましたね。タレントの千秋さんとの軽妙な口ゲンカは、番組名物のひとつになっていました(笑)。
カイヤさん:千秋さんとはめちゃめちゃ仲良しだったんです(笑)。息が合っていたからこそ、ああいう冗談のやり取りができたんですね。当時はとにかく忙しくて、デビューしから6ヶ月で300本くらいの番組に出ていたので、1日3本ほど収録が続く日がありました。
ただ、こう見えて私、すごく恥ずかしがり屋なんです。そんな風には見えないかもしれないけれど(笑)。だから、最初の2年くらいは、緊張してしょっちゅうお腹を壊していたくらい。