「とにかく綺麗な人がいる」「隣に座っていられない」と言われて…出会った当時は17歳だった坂東玉三郎が語る、三島由紀夫の自決を知って感じたこと


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 今年1月14日に生誕100周年を迎えた三島由紀夫が、晩年に書いた歌舞伎の大作「椿説弓張月」のヒロイン・白縫姫として想定したのは、当時19歳の坂東玉三郎さんだった。

 ここでは、様々な角度から三島やその作品を見つめた 『21世紀のための三島由紀夫入門』 (新潮社)より一部を抜粋。様々な三島歌舞伎、三島演劇に出演してきた坂東さんが語る、生前の三島の印象や演出、自決に対して感じた思いとは――。(全3回の3回目/ 最初から読む )

聞き手=井上隆史、芸術新潮編集部

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「今の時代に、このような花は、培おうとしても土壌がない」

 そんなに褒められても実感がないというか、困ってしまうという感じでした。ただ、土壌がなければ舞台人が育たないし、出てこないといったお話には、この年になって「ああ、そうだなあ」と思います。

――〈今の時代に、このような花は、培おうとしても土壌がなく、ひたすら奇蹟を待ちこがれるほかはない〉とあります。

 今は、一般の社会に歌舞伎を志す人がいても、修業し、引き上げられる環境が、本当に狭くなってきています。三島先生があの文章をお書きになった時にも、その気配はすでにあったんでしょうね。昭和の初期まではあったような土壌が、戦後になって平らくなったことに危機感を感じていらっしゃった。当時の私にはそういう理屈はわからなかったですけれども、三島先生が歌舞伎というものを俯瞰して見る中で、出てきた者が引き抜かれ、抜擢され、もちろん作家も沢山居た、その流れの中にいることを、奇蹟という言葉で言ってらっしゃるんだと思うのです。

――歌舞伎の将来は危ないけれど、玉三郎さんのような若手も出てきたし大丈夫かもしれない、その両方の思いがあった?

 自分が言葉をかけてやることによって、それならば私も支えてやろうと思う人が現れてくれれば、と思われたんだと思います。どうなるかわからないけども応援してやってくれという応援歌なのでしょうか。



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