『アンパンマン』の生みの親、やなせたかし「93歳のいまでも父が大好き。母よりも父が好きだった」明るい弟と違って人前に出るのが苦手だった幼少期


明日の『あんぱん』あらすじ。寛が亡くなり、悲しみに暮れる柳井家。涙を流す嵩にのぶがそっと差し出したのは…<ネタバレあり>

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◆少年時代

——僕は、おとなしい子どもだったんですよ。前列に出たがる子と、後列にいたい子がいますね。僕は後列にいたい、目立ちたくないという性質で、僕のむかしを知る人には、「すごくはにかみ屋だったのに変わったね」と言われます。

弟がいて、弟はとても明るい性格だったんですけど、僕はちょっと暗めだった。容貌に対する劣等感とか、いろいろなものがあって、あまり人前に出たくないという気持ちが強かったんです。どちらかというと、一人で遊んでいるタイプ。絵を描いたりして遊んでいることのほうが多かったですね。

でも田舎で育ったのでやっぱり、その辺の野っ原を飛び歩いたり、木に登ったり、川で泳いだりはしましたけど。つらいこともあったけど、絵を描いている時はうれしくてね、絵を描いていることで救われたというかな、……そういうことじゃないのかな。

つらいことがあったというのは、どういうことだったんですか。

—─父は、僕が5歳の時に亡くなったんです。それからしばらく母と暮らしていたんだけど、母が再婚するのでおじの家に預けられたんですよ。

おじは内科小児科の医者をしていて、とてもいい人だったんですけども、それでもやっぱり、ほんとの自分の父親がいない、母親もいないというのは、ちょっと寂しいんですよ。思いっきり甘えたいのに、その時にいないということですから。

それで遠慮がちになるんですね。お金をあまり使わせちゃ悪いとか、考えるようになるわけ。他のうちへ行くと、お父さんと一緒にいろいろやっているけど、うちにはそれがない。それがちょっと、つらかったですね。

でも僕は絵を描いたり、本を読んだりするのは好きだったんで、それでなんとか、寂しさから救われたんじゃないのかなと思います。とにかく本は、よく読んでいました。



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