ロングセラー『定年後のリアル』シリーズの著者・勢古浩爾氏が、77歳=喜寿を迎えた。運転免許はすでに返納し、スマホは持たず、テレビも見ていない。静かな毎日を送る彼が、老後を快適に過ごすヒントを綴る。※本稿は、勢古浩爾『77歳、喜寿のリアル:やっぱり昔は良かった!?』(草思社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 唯一持っていた自動二輪の 免許を72歳で返納した
わたしは車の免許を持っていない。残念といえば残念である。
学生時代、一度は取ろうとしたのである。
いまでも、おばあさんが運転しているのを見ると、負けたな、と思う。
中年になって、オートバイに乗りたくなった。
それもオフロードバイクである。曲芸のようなトライアルにも惹かれたが、あれは独学でできるようなものではない。中年がするものでもない。
中型二輪の免許を取った。
1回、実技で試験を落ちている。下手くそだったのだ。センスがないんだな。そういえば、スキーも下手だった。
大型二輪免許は興味がなかった。司法試験より難しいといわれていたが、ナナハンなど買えるわけもないし、家に置ける場所もない。
250ccのオフロードを買った。
街中を乗り回しただけである。まあ情けない。一人旅に出るかな、と考えていたのだが、できなかった。
遠出したのは、仙台の友人を訪ねて行った1回だけである。
50代になり、夏暑く、冬寒いバイクが堪えるようになった。
夏のヘルメットはたまったものではなかったし、冬は少々着膨れても寒さが身に沁みたのである。
それでも2回ほど更新したか。
年寄りの交通事故が問題になっていた。
これを期に、返納しようと思った。
2019年(令和元年)、72歳の年に返納した。脳梗塞(こうそく)になった翌年だ。
五木寛之が、運転免許を返納したと書いていた。「男をやめる」ほどの決意がいったというのである。
車好きだった人の場合、そういうことはあるかもしれない。
わたしの場合、すっきりした。
やっぱりバイク人間じゃなく、自転車人間だったのだ。
これは年寄りになってした断捨離の、「捨」のひとつである。歳をとってあらたにすることはなくても、捨てることはある。
もうひとつの「捨」は、スマートフォンである。
● 邪魔なだけのスマホ 持たないのは変人?
持っていないのに、持つまえから「捨」をしたのはスマホである(「マイナ」と共に「スマホ」という呼び方が気に入らないが、しかたない)。
もうひとつの「断」は、テレビでありニュースである。
現在ではスマホを持っていないのは、どうも変人と見られるようである。
まあ、それはいい。もともと変人の気がないわけではないから。しかしわたしから見れば、なぜみんながスマホを持ちたがるのかがわからない。
なんだか命の次に大切なもののようではないか。
わたしは意地を張って持たないのではない。元々電話が好きでなかったから、スマホが出始めた頃、普通に、これはいらんな、と思ったのである。
それがいまにつづいているだけなのだ。
逆に、なんでみんな持ってるの、と聞きたい。
邪魔じゃないですか?
昔からみんな、そんなに電話がしたかったとも思えないし、そんなに写真が好きだったとも思えないし、そんなにゲーム好きだったとも思えないし、そんなにニュースを読むのが好きだったはずもない。
それともたびたび、炎上だの誹謗中傷だので問題になるSNSとやらを、ご老人もやっているのか。
あるいは、自分の近況を知らせる文章や写真を、Xやらインスタグラムやらに上げたりしているのか。「いいね」とか押したりするのか。
全然楽しくなさそうなのである。
ただ邪魔なだけ、という気がするのだが、そうでもないのか。