Kentaro Okasaka
[東京 3日 ロイター] – 読売巨人軍は3日、プロ野球・巨人の選手、監督として活躍した長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が同日午前、肺炎のため都内の病院で死去したと発表した。89歳だった。
立教大学を経て1958年に巨人に入団。59年には天覧試合の阪神戦でサヨナラ本塁打を放つなど、スター選手として活躍した。71年に通算2000本安打を達成し、73年の巨人の日本シリーズ9連覇にも貢献。74年に現役引退した際の引退セレモニーでの「我が巨人軍は永久に不滅です」とのあいさつはその後も語り継がれる名言となった。長嶋氏の背番号3は永久欠番となっている。
引退後の74年11月に巨人監督に就任。76年からリーグ2連覇を果たしたが、80年に成績不振で辞任した。その後、92年に監督に復帰し、2000年には日本シリーズでダイエーの王貞治監督との「ON対決」を制して日本一に導いた。
林芳正官房長官は3日午前の閣議後会見で「数々の輝かしい成績を残され、野球界の国民的なスターとして、社会に明るい夢や希望を与えられた」と述懐。現役引退後も巨人軍や日本代表チームの監督として野球界の発展に貢献したとし「太陽のような存在とも評されたミスタープロ野球のこれまでのご功績に心より敬意を表するとともに、哀心より哀悼の意を表したい」と述べた。
長嶋氏が1990年からブランドアンバサダーを務め、「セコムしてますか?」のCMなどにも出演したセコムは3日、「長嶋さんのご功績に深く感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げる」とコメントした。
2001年に監督を退任し、終身名誉監督となった。02年にはアテネ五輪の野球日本代表監督に就任したが、04年に脳梗塞で入院し、五輪での指揮は断念した。
1988年1月に野球殿堂入りを果たし、2013年には元巨人の松井秀喜選手と共に国民栄誉賞を受賞。21年には野球界からは初めて文化勲章も受賞した。