なでしこ司令塔・宮間あや氏が語る「覚悟」とJFA復帰の理由

なでしこジャパンの黄金期を支えた司令塔として知られる宮間あや氏が、引退から約9年を経て、日本サッカー協会(JFA)の女子委員会委員長補佐として突如表舞台に戻ってきました。この復帰は、多くの人々にとって驚きであると同時に、日本女子サッカーの未来に向けた重要な一歩と見られています。数々のオファーを断ってきた彼女が、なぜこのタイミングでJFAへの関わりを決断したのか、その真意に迫ります。本記事は、宮間あや氏のインタビュー【前編】に続く内容です。

9年間の沈黙を破り、再びサッカー界へ

宮間氏は2016年の引退後、約9年間、公の場から距離を置いてきました。この間、様々な方面からのオファーがあったものの、彼女はそれらを固辞し続けていたといいます。しかし、2025年3月、JFA女子委員会委員長補佐という形で、再び日本の女子サッカーに関わる道を選びました。その決断の背景には、彼女が現役時代から一貫して大切にしてきた「仲間」という存在がありました。仲間と共に、日本女子サッカーの発展に貢献したいという思いが、彼女を再び突き動かしたのです。

なでしこジャパン元司令塔、JFA女子委員会委員長補佐に就任した宮間あや氏なでしこジャパン元司令塔、JFA女子委員会委員長補佐に就任した宮間あや氏

2011年女子ワールドカップでの「優勝」への覚悟

インタビュアーは、2011年の女子ワールドカップでなでしこジャパンが優勝した際の宮間氏の活躍を、当時日本サッカー協会のスタッフとしてドイツで見ていました。大会直前の国内最終合宿地、愛媛県松山市での出来事を振り返ります。取材エリアに最後に現れた宮間氏は、集まった報道陣に対し、「ここからワールドカップが終わるまで、1日も優勝するという目標を忘れず過ごしたい」と強い眼差しで断言したといいます。この言葉に、インタビュアーは「すごいことを言う人だ」と感じたそうです。

しかし、宮間氏自身はこの時の心境について、特別なことではなかったと語ります。「優勝しますというのは、どんな大会に臨むときにも言っていますね。優勝を目指さないのであれば、大会に出る資格はないと思っているので。でも、過去に優勝した経験はなかったので、あのときも優勝する想像はできてなかったです」と、あくまで目標設定としての言葉であり、実際の優勝を具体的に想像できていたわけではないことを明かしました。

宮間あや氏にとって一生のキーワード「覚悟」

想像はできていなかったものの、宮間氏の中には揺るぎない「覚悟」がありました。彼女にとって「覚悟は、一生のキーワード」だと断言します。

「勝ってもいい覚悟がなければそこに立ってはいけないし、負ける覚悟もしていないといけない。すべてにおいて、自分の人生を懸ける覚悟がなければ、日本代表として日の丸をつけてピッチに立つ資格はないとずっと思っています」と、代表選手であることの重みを語ります。

さらに、「試合に出る覚悟も、出られなくてもチームをサポートする覚悟も、途中から試合に出る覚悟もそうです」と、プレーヤー個人の立場だけでなく、チームの一員として様々な状況を受け入れ、役割を果たす準備ができていることこそが「覚悟」だと説明します。

そして、2011年のワールドカップ優勝という歴史的快挙は、こうした個々の選手の「覚悟」が集結した結果だと結論づけます。「全員がチームのために自分の役割を果たす覚悟があったからこそ、優勝という結果を得られたのだと思います」。彼女の言葉からは、個人技だけでなく、チームとしての精神的な強さ、お互いを支え合う「仲間」との絆、そして目標達成への揺るぎない「覚悟」こそが、なでしこジャパンを世界一に導いた原動力であったことが伺えます。

2011年ワールドカップでのなでしこジャパン優勝理由や覚悟について語る宮間あや氏2011年ワールドカップでのなでしこジャパン優勝理由や覚悟について語る宮間あや氏

結論:未来へ向けた宮間あや氏の新たな一歩

約9年の時を経て、宮間あや氏は「仲間」と共に日本女子サッカーの未来を築くため、JFAの舞台に戻ってきました。彼女が現役時代から大切にしてきた「覚悟」という哲学は、単なる勝利への執念ではなく、チームへの献身、自己犠牲、そしてあらゆる状況を受け入れる準備の重要性を教えてくれます。この不変の「覚悟」と「仲間」を重んじる姿勢は、今後の日本女子サッカー界においても、選手たちや関係者にとって大きな指針となるでしょう。彼女の新たな挑戦が、なでしこジャパンのさらなる発展に繋がることに期待が集まります。

参考資料

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