「ストイシズム」が示す真の幸福とは?物質的な豊かさと心の満たされ方

今、シリコンバレーを筆頭に、世界中でストア哲学、すなわち「ストイシズム」の教えが大きな注目を集めています。日本においても、その実践的な生き方を説く書籍『STOIC 人生の教科書ストイシズム』が刊行され、多くの関心を集めています。本稿では、このストイシズムの考え方を基に、現代社会で多くの人が抱える物質的な豊かさへの憧れと、真の幸福との関係性について掘り下げます。

豪華な家に憧れる心

積み重なった本が床を覆う部屋で、「もっと広い家に住めたら…」とつい口にしてしまいます。友人みんなを招けるような豪邸だったら、どんなに素晴らしいだろうか、と。子供も駅のフリーペーパーの住宅情報誌を眺め、「すごい、家の中にアスレチックがある!」と目を輝かせて見せてきます。写真に映る、見るからに幸せそうな家族の笑顔、広々としたリビング…。狭い賃貸住宅に住む自分たちとの差を痛感します。

手に取られた『STOIC 人生の教科書 ストイシズム』書籍。ストイシズムに基づいた幸福な人生について手に取られた『STOIC 人生の教科書 ストイシズム』書籍。ストイシズムに基づいた幸福な人生について

ストア哲学:セネカが見据えた高み

そんな物質的な豊かさへの憧れを抱く中で、ストア哲学者セネカの言葉に出会いました。彼の著書『自然研究』には、人間の至福に関する深い洞察があります。セネカは述べます。「人間の至福が完全に成就するのは、すべての悪徳を踏みつけ、魂が高みを求めて自然界の内奥に到達したときである。天の星を散策し、うわべを飾った金持ちの広間や大量の黄金が眠る地上のすべてを軽蔑とともに見下ろせたなら、どれほど気持ちのいいことか。」

(セネカ『自然研究』より)

この言葉を初めて読んだ時、正直なところ、負け惜しみのようにも聞こえ、少し笑ってしまいそうになりました。しかし、これは単なる負け惜しみや現実逃避の言葉ではありません。セネカが説いているのは、私たちの中に潜む、さもしい心、すなわち物質や表面的なものに囚われがちな欲望を乗り越え、精神をより高い次元へ引き上げることの重要性です。これは、私たち自身の内面にある可能性を最大限に引き出すための指針と言えるでしょう。

物質を超えた幸福の形

実際に豪邸に住む友人が興味深い話をしてくれました。「広々とした空間でリラックスする時は確かに幸福感があるけれど、その幸福感は家がどれだけ豪華かに関わらず得られるものなんだ」と。つまり、「あ〜、幸せだな〜」と感じる心の状態は、環境に左右されるものではなく、自分自身でいつでも作り出せるものだというのです。例えば、たとえ狭い部屋でも、お気に入りのものだけを置いて整頓し、好きなお茶を淹れることで満たされた気持ちになれます。あるいは、公園のベンチに寝そべって太陽の光を感じるだけでも、十分に幸福を感じることは可能です。

身近な場所にこそある幸福

セネカの言葉は、まさにこの点を強調しています。私たちは、物理的な状況に関わらず、いつでも魂を高い場所に置くことができる。広大な宇宙や人生の豊かな側面に目を向けることは、誰にでも可能なのです。物質的な豊かさや家のような「うわべ」にとらわれることは、むしろ本質的な幸福を見失わせる危険性があります。セネカが「軽蔑とともに見下ろせ」と言ったのは、そうした表面的な価値観に囚われそうになる自分自身を戒め、それを乗り越えて精神的な高みを目指せ、という強いメッセージなのでしょう。

これからも、他人の物質的な豊かさを羨ましく思うことはあるかもしれません。しかし、ストイシズムが教えてくれるように、真の幸福は内面にこそあり、それは自身の心の持ち方次第でいつでも実現できるということを忘れないでいたいと思います。

結論として、ストイシズムは、物質的な所有や外部の評価に依存しない、自立した幸福追求の道を指し示してくれます。豪邸を持つことや富を得ることは、それ自体が悪いわけではありませんが、それが幸福の唯一の源泉ではないという洞察は、現代を生きる私たちにとって非常に価値のある教えです。真の心の豊かさは、自分自身の内面を耕し、外的な状況に左右されない強い精神を築くことから生まれるのです。この考え方は、新しい書籍『STOIC 人生の教科書ストイシズム』を通して、さらに多くの人々に広まっていくことでしょう。

参考文献

ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ダイヤモンド社)
セネカ『自然研究』
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