20日に自民党と日本維新の会との間で連立政権に向けた政策合意書が署名され、翌21日には自民党総裁の高市早苗氏が首相に選出される見込みとなった。しかし、高市氏の総裁当選後、公明党が自公連立から離脱を表明したことで、首相指名選挙は予断を許さない状況へと一変。野党は国民民主党の玉木雄一郎代表を擁立し、政権交代を狙う動きを見せた一方で、自民党と日本維新の会が急速に接近するなど、息をのむような展開が続いた。こうした中で、実は自民党が主導して玉木氏を首相に推すという、驚くべきシナリオが存在したと報じられている。
高市総裁選出と公明党の連立離脱が招いた政局の混迷
自民党総裁選の投開票日翌日である5日、高市氏は国民民主党の玉木代表と秘密裏に会談していたことが明らかになっている。関係者によると、高市氏は国民民主党の政策を自民党が受け入れる可能性に言及し、政権運営への協力を要請したという。その後、周知の通り10日に公明党が連立からの離脱を表明。これにより、国会での首相指名選挙の行方が不透明となり、立憲民主党が主導する形で玉木氏を首相に指名する野党連携の模索が本格化した。
公明党の連立離脱表明以前から、高市氏は日本維新の会側と接触しており、水面下では具体的な連携の話し合いが進められていたとされる。この自民党と日本維新の会の接近に対し、玉木代表は他の野党とも協議を進めていた維新側を「二枚舌」と厳しく批判した。結果的に、自民党と日本維新の会が政策面で合意に至ったことで、野党が連携して「玉木首相」を誕生させるどころか、「玉木首班指名」すら幻となった。
麻生氏が描いた「玉木首相」シナリオと国民民主党との関係
だが、水面下では「自民主導で玉木首班指名」というもう一つのシナリオが存在したという。これを準備していたとされるのが、自民党の麻生太郎副総裁だ。高市総裁の「生みの親」とも目される麻生氏が、なぜこのような構想を抱いていたのだろうか。
麻生太郎副総裁(右)と会談する国民民主党の玉木雄一郎代表(左)。政権構想を巡る水面下の動きを示唆。
その背景には、麻生氏が岸田政権下においても国民民主党を連立政権に取り込もうと動いていた事実がある。特に、国民民主党の榛葉賀津也幹事長とは緊密な関係にあり、二人の間では以前から「玉木首相プラン」について具体的な話し合いが重ねられてきたと報じられている。麻生氏の深い政治的洞察と、国民民主党との長年の信頼関係が、この異例のシナリオを現実味のあるものとしていたようだ。
今回の政局の混乱は、単なる連立離脱に留まらず、水面下で様々な権力闘争と連携の模索が繰り広げられていたことを示唆している。高市氏の首相就任が目前に迫る中、複雑に絡み合った各党の思惑と、麻生氏のような大物政治家の動きが、今後の日本政治にどのような影響を与えるのか、引き続き注目される。