脱北者・李京姫さんが語る北朝鮮の現実 帰国者の後悔、洗脳、人権侵害への訴え

脱北者の李京姫(リ・キョンヒ)さん(40)は2007年に北朝鮮を脱出し、日本に逃れた後、「生かされたのには意味がある」との思いを胸に歩んできた。北朝鮮に残した家族への深い罪悪感に苦しみ、その記憶に長くふたをしてきたが、時間の経過とともに心境に変化が生まれた。3年前からはブログで北朝鮮での自身の経験を率直に公開し始め、北朝鮮の人権侵害を国際社会に訴えようと、家族の安否調査を求める請願書を国連に提出するまでに至った。「家族に誇れる人生を歩みたい」。彼女は、自身の小さな行動でも祖国を変える力になると信じ、声を上げ始めた。

脱北者・李京姫さんが北朝鮮に残した家族の写真を手に語る様子脱北者・李京姫さんが北朝鮮に残した家族の写真を手に語る様子

日本からの帰国者が抱えた後悔

平壌で大学生活を送っていた頃、李さんは70代くらいの帰国者の女性と出会った。当時、下宿で暮らしていた李さんは、電気が通らず食事もままならない生活に嫌気が差し、大学から徒歩約30分のウンメ洞という地域に住むその女性の家に居候させてもらうことになった。李さんによると、ウンメ洞は日本からの帰国者専用の居住区域として知られ、2階建ての一軒家や小さなアパートが密集していた。中でも、特に北朝鮮政府に多額の寄付をした富裕層とされる約20世帯が暮らしていたという。

その女性は夫を亡くし、一人暮らしだった。亡き夫は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の元幹部であり、帰国事業で数千人の人々を日本から北朝鮮に連れ帰った有力者だったとされる。女性の家には、北朝鮮で裕福な家庭の象徴とされるピアノが置かれていた。子どもたちも医科大などの良い学校を卒業し、別の富裕層居住地域に暮らしていたという。

居候していた約2年の間、凜としたたたずまいのその女性は、「夫が亡くなったから言える」と前置きし、帰国事業への後悔を口にしていたという。「何であんなことをしたのだろう。本当にかわいそうなことをした。ここの20世帯の人たちには頭が上がらない。皆心の中では後悔しているんだろうね」。

北朝鮮・平壌で行われた朝鮮人民革命軍創建記念行事で国旗を掲げる人々北朝鮮・平壌で行われた朝鮮人民革命軍創建記念行事で国旗を掲げる人々

北朝鮮における徹底した思想統制と洗脳

北朝鮮では、小学生になる頃から少年組織「朝鮮少年団」への強制加入が義務付けられ、金一族への絶対的な忠誠心が徹底的にたたき込まれる。李さんも少年団時代に「党と金一族を守るために命をささげなさい。あなたたちの体が銃と爆弾になる」と教え込まれた経験を持つ。子どもたちは公式行事や大規模なマスゲームにも動員され、本番の1年ほど前から深夜に及ぶ過酷な練習に明け暮れる日々を送る。マスゲームのスタンドでパネル操作の練習中に倒れ、適切な治療を受けられず盲腸で死亡した子どももいたという。その場合でも「将軍様のために身を削った」として英雄視され、体制のプロパガンダに盛んに利用された。

北朝鮮・平壌で行われる大規模なマスゲームの様子北朝鮮・平壌で行われる大規模なマスゲームの様子

朝鮮少年団を卒業すると、青年同盟や女性同盟といった他の大衆組織、そして朝鮮労働党に所属することになり、こうした思想統制は生涯にわたって続く。党員であった李さんの父親は、党員証を薄紙、ビニール、布の三重で厳重に包んだ上で金属製の箱に納め、さらに革製のかばんに保管するという徹底ぶりだった。これは、党員証を粗末に扱ったことが発覚すれば、政治犯収容所に送られたり、公開処刑の対象になったりする危険があったためだ。各家庭に掲げられている金一族の肖像画も一枚一枚に番号が振られ、中央で厳重に管理されていた。肖像画が落下して破損させた責任を問われ、収容所送りになった人も存在するという。

家族のため、そして未来のため

李京姫さんは、北朝鮮でのこうした経験と、日本での新たな生活の中で感じた多くの感情を抱えながら、記憶のふたを開けることを選んだ。ブログでの告白、そして国連への請願書提出は、北朝鮮に残された家族の安否を案じる切実な思いと、故郷の人権状況を変えたいという強い願いの表れである。「小さくても祖国を変える力になる」と信じる彼女の活動は、北朝鮮の現実を国際社会に伝え、少しずつでも状況を改善するための重要な一歩となっている。