田沼意次と工藤平助:蝦夷地開発とロシア貿易を提言した「変わり者医師」の先見性

NHK大河ドラマ「べらぼう」に関連して、江戸時代中期、当時の老中である田沼意次に画期的な政策提言を行った人物、工藤平助に焦点が当たっています。平助は医師でありながら、その多才な知識と異色の視点から、日本の将来に関わる重要な提案を行いました。本稿では、工藤平助の人となりと、彼が田沼意次に対して行った蝦夷地開発とロシア貿易に関する提言の詳細を探ります。

「変わり者」医師、工藤平助とは

工藤平助は江戸詰めの仙台藩医でしたが、その生き方は当時の常識にとらわれない「変わり者」として知られていました。医師は剃髪する習慣が一般的であった時代に、平助は髪を伸ばすなど、自身のスタイルを貫いたと言われています。

その独特な魅力は多くの人々を引きつけました。娘で国学者である只野真葛の随筆『むかしばなし』には、学問を志す者、蝦夷地から上京してきた者、さらには賭博者まで、様々な立場の人間が平助のもとを訪れた様子が描かれています。これは、平助が単なる医師に留まらない、幅広い知識と人間的魅力を持っていたことを示唆しています。

老中・田沼意次への大胆な提言

ある時、工藤平助のもとを老中・田沼意次の用人が訪れました。用人は、主である意次が財力、地位、官位全てに不足はないと感じており、その上での願望として、「老中としての永続的な実績、人々の役に立つことを成し遂げたい」と考えていることを明かしました。そして、どのような事業がそれに相応しいかを平助に尋ねたのです。

田沼意次侯像(牧之原市史料館所蔵)。蝦夷地開発とロシア貿易に関する提案を受けた江戸時代の老中。
牧之原市史料館所蔵の田沼意次侯像。蝦夷地開発とロシア貿易に関する提案を受けた江戸時代の老中。牧之原市史料館所蔵の田沼意次侯像。蝦夷地開発とロシア貿易に関する提案を受けた江戸時代の老中。

これを聞いた平助は前のめりになり、熱を込めて次のような大胆な提言を行いました。それは、現在の北海道である「蝦夷地の全域を開拓し、国の富を増やし、同時に貧しい人々を救済すること」でした。平助は、この事業こそが田沼老中を永遠に敬慕される存在にする大事業になると力説したのです。

『赤蝦夷風説考』執筆へ

平助の熱意ある提言に感銘を受けた用人は、これを田沼意次に伝えるため、平助に文章としてまとめるよう依頼しました。この要請に応え、工藤平助はロシアに関する研究に基づいた著書『赤蝦夷風説考(あかえぞふうせつこう)』を書き上げました。この書は、ロシアとの交易を通じて日本の国力を高めるべきだと論じる、当時の日本としては非常に先駆的な内容でした。

工藤平助のこの提言は、江戸時代中期における日本の対外政策や国内開発に関する議論に一石を投じるものであり、彼の先見性と行動力を示す重要なエピソードと言えます。この後、最上徳内などが実際に蝦夷地の調査を行うなど、具体的な動きに繋がっていきました。

結論

工藤平助による田沼意次への蝦夷地開発とロシア貿易の提言は、一介の医師が抱いた国家的な構想でした。彼の「変わり者」としての自由な発想と、現実的な政策へと繋がる深い洞察力は、江戸時代という枠を超えた先見性を示しています。この提言とそれに続く動きは、後の日本の北方政策にも影響を与えるものとなりました。田沼意次の時代に行われた先進的な試みの一つとして、工藤平助の功績は歴史に刻まれています。

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