中曽根元首相死去 サミット首脳写真でセンター占めた秘策 小林静雄・元政治部長

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1983年5月、ウィリアムズバーグ・サミットの記念撮影に臨むG7首脳ら。右から3人目が中曽根康弘首相。左隣はレーガン米大統領、フランスのミッテラン大統領(中曽根康弘事務所提供)

1983年5月、ウィリアムズバーグ・サミットの記念撮影に臨むG7首脳ら。右から3人目が中曽根康弘首相。左隣はレーガン米大統領、フランスのミッテラン大統領(中曽根康弘事務所提供)

 中曽根康弘首相(当時。以下同)の評価を物語る象徴的な出来事の一つが、1983(昭和58)年5月の米ウイリアムズバーグ・サミットでロナルド・レーガン米大統領と肩を並べて中央に収まった首脳記念撮影だ。

 当時、この写真は各新聞の1面トップを飾り多くの日本国民に「日本の国際的地位が上がった」と強い印象を与えた。それまでの日本の首相は、端っこに写るのが常だったから、この写真は驚きをもって国民に歓迎された。その経緯を直接聞いたことがある。

 平成9(1997)年夏、政治部長だった私は、評論家の江藤淳氏に当時の政界のキーマンだった中曽根元首相、竹下登元首相、民主党政権の大実力者だった小沢一郎氏と長時間対談してもらい、産経新聞の2、3面を広告なしの全段ぶちぬき見開き掲載の大型対談を企画し、軽井沢の中曽根別荘で対談を収録した。その後、江藤氏とともに中曽根氏と会食、懇談した。

 その時、中曽根氏に「ウイリアムズバーグ・サミットの記念撮影のとき、レーガン大統領と楽しそうに話しながら撮影場所に入る姿がテレビ中継されました。何を話していたのですか」とたずねた。

 「あれはね、ネクタイの話をしていたんだ」

 意外な中曽根氏の答えだった。

 「私はサミット前から首脳の記念撮影で中央に写ることを狙っていたんです。そうすることで日本の国際的地位が上がったことをアピールできるからね。そのためにはどうすればいいかをずっと考えていた。思いついたのがレーガンと話し続けながら撮影会場に入ればいいということだった。話が続いていれば誰も私とレーガンの間には入らず、そのまま撮影となるからね」

 「それで私は、撮影直前の首脳会議が終わった瞬間、すぐに椅子から立ち上がってレーガンのところに行き、『そのネクタイはいいね』と話しかけたんだ」

 ハリウッド俳優出身のしゃれ者のレーガン氏にネクタイをほめれば話がはずむと読んだうえでの秘策だった。

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