愛子さまを重ねて見えた『ローマの休日』アン王女の「通過儀礼」

女性宮家創設案が今期国会で見送られる中、宗教学者の島田裕巳氏は、皇室史の視点から愛子内親王殿下と映画『ローマの休日』の主人公アン王女との間に興味深い共通点を見出しています。特に、この映画が描く「通過儀礼」というテーマは、現代の皇族女性のあり方を考える上で示唆に富むと指摘します。本稿では、島田氏の分析に基づき、『ローマの休日』に込められた深い意味と、愛子内親王殿下との関連性を探ります。

愛子さま、アン王女、オードリー・ヘプバーンの年齢と共通点

島田氏が愛子内親王殿下とアン王女を重ねて見る第一の理由は、年齢の近さです。愛子内親王殿下は2001年12月1日生まれで、この記事執筆時点の2024年6月で22歳です。映画『ローマの休日』のアン王女は10代後半から20歳前後と想定されており、愛子内親王殿下よりやや若い設定です。しかし、アン王女を演じたオードリー・ヘプバーンは1929年5月4日生まれで、映画の撮影が始まった1952年6月当時は23歳でした。映画が公開された翌53年には24歳になりますが、撮影時点では愛子内親王殿下とほぼ同じ年齢だったのです。この偶然の一致は、ヘプバーンが演じたアン王女の姿と愛子内親王殿下が現在の年齢で置かれている立場を比較する上で、よりリアリティを持たせます。

沖縄県の平和祈念公園にて、公務に臨まれる愛子内親王殿下沖縄県の平和祈念公園にて、公務に臨まれる愛子内親王殿下

アン王女のモデルはエリザベス2世の妹か

映画の中でアン王女がどこの国の王室に属しているかは明確にされていません。設定上はヨーロッパ諸国を歴訪しており、物語の冒頭はロンドンです。しかし、アン王女は英語を話しており、その点からイギリス王室の一員と解釈するのが自然です。実際、アン王女のモデルは、当時のイギリス国王ジョージ6世の次女であり、エリザベス2世の妹であるマーガレット王女ではないかという説が根強くあります。おりしも映画が撮影・公開された1952年から1953年にかけては、エリザベス2世が即位し、戴冠式を控えた時期でした。映画の公開は、イギリス王室への関心が高まる絶好のタイミングだったと言えます。

『ローマの休日』は「通過儀礼」を描いた物語

島田氏は宗教学の視点から、『ローマの休日』を重要な「通過儀礼」を扱った映画として捉えています。通過儀礼とは、未熟な状態からより成熟した状態へ移行するための儀式やプロセスです。特に、子どもから大人になるための儀式は多くの文化で見られます。通過儀礼においては、一定期間の試練が課されることが多く、その試練は短期間で集中的に行われる必要があります。もし試練が長引けば、それは日常の一部となり、通過儀礼としての意味合いが薄れてしまうからです。『ローマの休日』の原題は「Roman Holiday」と単数形であり、アン王女がお忍びで過ごしたローマでの一日は、凝縮された短い時間の中で多くの出来事を経験する、まさに通過儀礼の「試練」の期間であったことを示唆しています。

公務への復帰という試練とアン王女の変貌

アン王女にとっての最大の試練は、自由のない生活と公務から逃げ出した後、再びその職責に戻るという決断ができるかどうかでした。ローマでの一日限りの逃避行は、外の世界を知る経験であると同時に、王女としての自覚を改めて問われる機会となったのです。この試練を乗り越え、公務への復帰を決断したアン王女は、物語の冒頭で見せた、寝る前に必ずミルクを飲むような幼さの残る少女から、記者会見の場で見せる威厳と覚悟を備えた立派な王室の一員へと大きく変貌します。オードリー・ヘプバーンは、この対照的な二つの姿を鮮やかに演じ分けたことで、瞬く間に国際的なトップ女優へと上り詰めました。映画は、一人の女性が自己の役割を受け入れ、大人として成長する過程を見事に描いています。

島田氏は、愛子内親王殿下と『ローマの休日』のアン王女の比較を通じて、皇族としての「通過儀礼」という視点を提示しました。アン王女が一日限りの逃避行を経て大人へと変貌を遂げたように、公務を担う皇族女性には独自の試練と成長の過程があるのかもしれません。愛子内親王殿下がこの映画をご覧になったか、どのような感想を抱かれたか、想像は膨らみます。

【参考文献】
https://news.yahoo.co.jp/articles/8a9deaa4cba18610591a1f250fa46f6e7e8d4eba