朝ドラ『あんぱん』戦時下のメッセージ:ヤムさんと八木、生き残るための「同じ言葉」

NHK連続テレビ小説「あんぱん」において、日本が戦争に敗れた1945年8月15日が第60回で描かれました。物語の始まりである日中戦争開戦(1937年)が第27回だったことから、本作では戦時下と戦争の描写に合計33回が費やされたことになります。この「あんぱん」という物語にとって、戦争とは一体何だったのでしょうか。作品を通じて伝えられる、登場人物たちの言葉から読み解きます。

NHK朝ドラ『あんぱん』のヒロイン、若松のぶを演じる今田美桜。戦時下の暮らしが描かれる。NHK朝ドラ『あんぱん』のヒロイン、若松のぶを演じる今田美桜。戦時下の暮らしが描かれる。

日中戦争の始まりと、それぞれの反応

1937年、第27回では、朝田家のラジオが盧溝橋事件、すなわち日中戦争の勃発を伝えました。日本軍と中国軍が北京郊外で衝突したこの事件は、やがて中国全土を巻き込む大規模な戦争へと発展していきます。ヒロイン・若松のぶ(今田美桜)の祖父で石工の朝田釜次(吉田鋼太郎)は、1931年の満州事変での勝利経験から、「すぐに片付くじゃろ」と事態を楽観視していました。しかし、住み込みのパン職人であるヤムさんこと屋村草吉(阿部サダヲ)だけは深刻な表情を浮かべます。後に明らかになることですが、ヤムさんは欧州大戦(1914年)に従軍した経験があり、戦争が勝敗にかかわらず不幸を生むことを深く理解していたのです。

召集令状とヤムさんの異質な助言

日中戦争が始まって間もない第27回、朝田家に住み込みで働く若い石工・原豪(細田佳央太)に召集令状が届きます。当時の社会規範では、兵役は名誉とされ、これに応じない場合は懲役刑が待っていました。釜次も表情をこわばらせながらも、当時の決まり文句である「おめでとう」と豪に告げます。しかし、ヤムさんはこの流れに逆らい、豪に逃亡を勧めます(第28回)。豪がその気を示さないと、今度は石で足の骨を砕く、あるいは醤油を一気に飲むなど、徴兵検査で不合格となるための方法まで具体的に助言します。これは、大量の醤油による塩分過多で一時的に血圧を下げるという、当時実際に試みられたこともあった方法です。

戦場への道と、ヤムさんの『逃げろ』という叫び

ヤムさんの懸命な助言にもかかわらず、豪は戦場へ行くことを選びます。出征直前の第29回、豪はのぶの長妹・蘭子(河合優実)と結婚を約束し、必ず戻って来ると誓いました。しかし、その約束は果たされませんでした。1939年の第37回、朝田家に届いたのは豪の戦死通知でした。蘭子は深い虚脱状態に陥ります。ヤムさんは豪が出征する前、彼にこんな言葉を投げかけていました。「勇ましく戦おうなんて思うなよ。逃げて、逃げて、逃げ回るんだ。戦争なんていいヤツから死んでいくんだからな」(第28回)。これは、当時の「お国のために」という価値観とは真逆の、命を何よりも優先させる切実な叫びでした。

戦場での生と死:八木上等兵の現実論

このヤムさんの言葉と全く同じ意味を持つ助言が、物語の後半にも登場します。1942年の第50回から登場した上等兵の八木信之介(妻夫木聡)が、やなせたかしさんをモデルとする柳井嵩伍長(北村匠海)に対して口にした言葉です。1944年の第55回、嵩が日本に生還するためにはどうすればいいのかと八木に尋ねた際、八木は現実的な生存戦略を説きました。「戦場では弱い者から死んでいく」「弱い者が戦場で生き残るには卑怯者になることだ。仲間がやられてもカタキを取ろうなんて思うな」と。

時代を超えた二人の『同じ言葉』

ヤムさんは戦場で生き残るためには「いいヤツになるな」と説き、八木は生き残るためには「卑怯者になれ」と言いました。二人の言葉の表現は異なりますが、その本質は全く同じです。それは、美徳とされる勇敢さや仲間への忠誠心は、戦場においては命取りとなりかねないという現実、そして何よりも自身の命を守ることを最優先すべきだという、戦争という極限状態を知る者だけがたどり着ける境地を示唆しています。「あんぱん」は、時代や立場は違えど、戦争の非情さの前に「生き残ること」の重さを訴える二人の言葉を通して、戦争がもたらす不条理と、その中で命をつなぐことの意味を深く問いかけているのです。