NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、やなせたかし氏と小松暢氏をモデルにした物語であり、現在高い注目を集めています。先日の放送では、物語の重要な転換点である1945年8月15日の敗戦が描かれました。1937年7月の日中戦争開戦から敗戦まで、全130回と見込まれる放送回数の約4分の1にあたる33回が戦時下と戦争の描写に費やされています。これは一見長く思えるかもしれませんが、「逆転しない正義」を体現するアンパンマンへと主人公たちが辿り着くまでの道のりを描く上で、正義が揺らぎ、逆転する敗戦を詳細に描くことは物語全体の輪郭を明確にするために不可欠と言えるでしょう。
これまでの『あんぱん』の物語は、必ずしも愉快な描写ばかりではありませんでした。それにもかかわらず、多くの視聴者を惹きつけ、人気を保っているのはなぜでしょうか。その理由として最も大きいのは、脚本家・中園ミホ氏による精緻に計算された脚本の構成にあると考えられます。
戦争描写の長さとその意味
物語の主要なテーマである「正義とは何か」を探求する上で、戦争という極限状況は避けて通れません。主人公たちが経験した戦時下の困難、価値観の転換、そして敗戦によって突きつけられる現実こそが、彼らが後に生み出す「アンパンマン」の根源となる「逆転しない正義」の思想へと繋がる重要な伏線となっています。33回という放送回数をかけて戦争を描写することで、視聴者はその時代の空気感や人々の苦悩を深く感じ取り、主人公たちの内面的な変化の過程をより説得力をもって理解することができるのです。これは単なる歴史の描写ではなく、物語の核心に迫るための必要な尺と言えます。
不愉快な描写、それでも視聴者を惹きつける理由
『あんぱん』が描く戦争は、美化されることなく、そこに生まれる不条理さや悲劇性が率直に描写されています。視聴者にとって時に重く、目を背けたくなるような場面もあるかもしれません。しかし、それでも物語が強く支持されるのは、脚本の巧妙さゆえです。
中園ミホ脚本の精巧さ
中園氏の脚本は、物語の序盤に張り巡らされた伏線が、時を経て重要な意味を持つ点で優れています。例えば、1927年、主人公のぶ(幼少期・永瀬ゆずな)と嵩(幼少期・木村優来)が8歳の小学生だった頃のエピソードがあります。転校生で大人しい嵩がいじめられ、弁当を奪われた際、のぶは反撃しますが、やりすぎて相手に怪我をさせてしまいます。
NHK連続テレビ小説『あんぱん』主人公、朝田のぶ役の今田美桜。
その帰り道、のぶの母・羽多子(江口のりこ)はのぶにこう諭します。「乱暴はいかん。痛めつけた相手に恨みが残る。恨みは恨みしか生まんがよ」。この言葉は幼いのぶには難解に聞こえたかもしれませんが、中園氏の真意は18年後の1945年春の描写で明らかになります。
「恨みは恨みしか生まない」戦時下との繋がり
第58回では、嵩や康太らとともに日本陸軍兵士として中国福建省での軍務に就いていた田川岩勇(濱尾ノリタカ)が、我が子のように可愛がっていた現地の少年リン(渋谷そらじ)に銃で撃たれ、絶命する場面が描かれました。かつていじめっ子だった岩勇は、戦地でリンという少年と心を通わせますが、戦争が生む憎悪の連鎖の中で悲劇的な最期を迎えます。
朝ドラ『あんぱん』で主人公・柳井嵩の弟、海軍少尉の柳井千尋を演じる中沢元紀。
幼少期に羽多子が語った「恨みは恨みしか生まない」という教えが、戦場で現実となり、暴力と憎悪の連鎖がどのような悲劇を生むのかをまざまざと見せつけます。このような体験を通じて、主人公たちは従来の「正義」が状況によって容易に「逆転」し、新たな恨みを生む現実を痛感することになります。アンパンマンの「正義」が、なぜ自己犠牲を伴い、一方的な施しによって成り立つのか、その思想の根幹には、戦時下の悲惨な経験とそこで見た人間の業が深く関わっていることが示唆されているのです。
結論
NHK朝ドラ『あんぱん』における戦争描写は、単に過去の出来事を再現するだけでなく、物語全体のテーマである「正義」の探求に不可欠な要素として描かれています。視聴者にとって時に辛い内容であっても、脚本家・中園ミホ氏の緻密な構成により、幼少期の教訓と戦時下の経験が繋がり、「逆転しない正義」というアンパンマンの根幹思想がいかにして生まれたのかが説得力をもって描かれています。この深い人間ドラマとテーマ性が、『あんぱん』が多くの視聴者の心に響く理由と言えるでしょう。
参照文献
https://news.yahoo.co.jp/articles/bfbf6be287958eeedf714e179d13dc8bf36ce2bb