「みんなに優しくしてもらってありがたいです」。報道陣に囲まれそう語る高羽悟さん(69)は、手で口を押さえ嗚咽を漏らした。1999年11月に妻・奈美子さん(当時32)が殺害された事件で、犯人の安福久美子容疑者(69)が逮捕された翌11月1日の夕暮れ時のことだった。事件発生以来、当時2歳だった息子の航平さんを育てながら、「世間から同情されたくない」との一心で人前では涙を見せず生きてきた。その26年間、胸に秘めてきた思いが、逮捕という一つの区切りを得て一気に溢れ出した瞬間だった。この長きにわたる苦難の中、高羽さんが貫き通した「かわいそうと思わないで」という言葉の真意に迫る。
「かわいそうと思わないで」に込められた夫の強い意志
高羽悟さんは普段、物腰が柔らかく、親しみやすい人柄で知られている。その柔和な笑顔からは、一見すると「殺人事件の被害者遺族」という重い過去を背負っているとは感じられないほどだ。しかし、そんな悟さんがある時発した言葉が、今も多くの人々の心に深く刻まれている。それは、悟さんが代表幹事を務める殺人事件被害者遺族の会「宙の会」(事務局・東京都千代田区)が2020年2月に開催した総会での出来事だった。会の終了後に行われたメディアを含む懇親会で、遺族らが順番に挨拶する中、悟さんの番になると、開口一番、こう力強く言い放ったのだ。「かわいそうと思わないでください」。
被害による悲しみや不条理を世に強く訴えかける事件遺族が多い中で、悟さんのこの発言は、多くの人々に意表を突くものだった。それは、世間が被害者遺族を見る目線とは一線を画し、同じように扱わないでほしいという、強いメッセージに他ならなかった。この言葉の背景には、26年間という途方もない時間をかけて、息子を守り、前向きに生きてきた悟さんならではの深い信念が込められている。
息子・航平さんのために貫いた「普通の人生」
高羽さんは、一体どのような思いを胸にあの言葉を口にしたのだろうか。度重なる取材の中で、悟さんはその胸の内を次のように吐露した。「奈美子が殺されたことで、航平に卑屈な人生を送らせては絶対にいけないと思っていました。航平が周りから『かわいそう』と思われるのも嫌だったし、『お母さんがいないから学校で成績が悪くても仕方がない』という思いもしてほしくない。それは航平のためにも良くないと考えていました。だから、私たちは普通に、堂々と生きてきました」。
高羽奈美子さん殺害事件の現場となったアパートで当時の状況を説明する夫・高羽悟さん
事件後、悟さんは現場のアパートから実家へと居を移し、アパートの家賃を払い続けながら、両親とともに航平さんを育てた。不動産会社で働いていた悟さんは、毎日午後8時には帰宅し、幼い航平さんをお風呂に入れるなど、積極的に育児に参加した。航平さんが小学校に入学すると、悟さんは毎年提出する身上書に、「母親が殺人事件で亡くなっており未解決です。そのことによるいじめや差別がないようにお願いします」と書き記していたという。
「いじめがあったかどうか、航平は言わないので分かりませんが、表立ったことはありませんでした。いつも家で近所の友達たちとゲーム機などで大騒ぎして遊んでいました」と悟さんは振り返る。授業参観をはじめとする学校行事には、常に悟さんが一人で駆け付けた。特に運動会の日は、会社を抜け出してスーツ姿で向かうなど、多忙な中でも息子の学校生活に寄り添い続けた。学校行事に参加できなかったのは、この26年間でたった1回だけだったという。悟さんの献身的な姿勢は、航平さんが周囲から特別な目で見られることなく、健やかに成長することを何よりも願う親心そのものだった。
26年間の信念と未来への希望
高羽奈美子さん殺害事件の容疑者逮捕は、高羽悟さんにとって、26年という長い歳月を経てようやく訪れた一つの区切りであり、悲しみと共に抱え続けてきた重荷からの解放を意味する。しかし、彼の生き方は、単なる悲劇の遺族としてではなく、「かわいそうと思わないで」という強い信念のもと、息子・航平さんのために「普通の人生」を貫き通した父親としての姿を浮き彫りにした。悟さんの言葉と行動は、逆境の中でいかに尊厳を保ち、愛する者を守り、前向きに生きていくかという普遍的なメッセージを社会に投げかけている。この逮捕が、高羽悟さんと航平さんの新たな未来への一歩となることを願う。
参考文献
- Yahoo!ニュース: 「高羽奈美子さん殺害事件26年」逮捕の日に夫・高羽悟さんがあふれさせた涙と、息子と生きた「かわいそうと思わないで」の真意 (Daily Shincho掲載記事)
- 水谷竹秀 (ノンフィクション・ライター)





