6月27日、神奈川県座間市で男女9人を殺害した罪などで死刑が確定していた白石隆浩死刑囚(34)に対し、刑が執行されました。この痛ましい座間事件の加害者である白石死刑囚は、過去に「両親が離婚した。それからずっと暗い人生だった」と周囲に語っており、特に母親から“捨てられた”という意識が、彼の心に深い影を落としていた可能性が指摘されています。改めて、事件の背景にある白石死刑囚の複雑な家庭環境について振り返ります。
座間事件で9人を殺害し死刑が執行された白石隆浩死刑囚の顔
死刑執行、そして事件の概要
白石隆浩死刑囚は、SNSを通じて知り合った複数の被害者を自宅アパートに誘い込み、殺害して遺体を切断・遺棄したとして逮捕されました。2020年に死刑判決が下され、最高裁で確定していました。2017年に事件が発覚した際、その猟奇性から社会に大きな衝撃を与えました。今回の死刑執行により、一連の裁判は終結を迎えましたが、事件の根源を探る動きは続いています。
「恵まれた」幼少期から両親の離婚へ
白石死刑囚は1990年10月に生まれ、4歳下の妹が誕生した翌年の1995年に一家で座間市に新居を構えました。父親は自動車部品の設計で生計を立て、母親は専業主婦としてPTA役員も務めるなど、地域活動にも積極的でした。近隣住民からは、父親は親切で面倒見が良い人物として知られていました。白石死刑囚自身も、地元の公立小中学校に通い、中学では野球部や陸上部に所属し、生活委員を務めるなど、表面上は後の凶行とはかけ離れた穏やかな育ちに見えました。
母親からの「捨てられた」意識の影
しかし、白石死刑囚の人生には大きな転機が訪れます。今から10年ほど前、彼が高校生の頃に両親が別居、事実上の離婚状態となりました。父親は当初、娘(妹)の通学のため母親がついて行ったと説明していましたが、実際は離婚でした。白石死刑囚は知人や、事件前に接触した人物に対し、「両親が離婚した。それからずっと暗い人生だった」と繰り返し語っていました。特に、母親が妹だけを連れて家を出たことに対し、「母から捨てられた」という強い意識と深い傷を負っていたことがうかがえます。この家庭環境の変化が、彼のその後の人生観や行動に影響を与えた可能性は否定できません。
残された家族への影響
現在、白石死刑囚の母親と妹は座間市から離れた川崎市内で暮らしており、姓は白石のままです。一方、父親も実家から姿をくらましています。白石死刑囚の伯父(父親の兄)は、デイリー新潮の取材に対し、「今は精神的に参っていると思うけど、やっぱり親だよ。申し訳ないと思っているだろ。いずれケリが付いたら、表に出てきて謝罪するんじゃないか。そうすべきだよ。それが親だよ。息子のこと、あんなに可愛がっていたんだから……」と重い胸中を語っています。事件の「十字架」は、刑の執行後も、残された家族に重く圧し掛かっています。
参考資料
デイリー新潮2017年11月16日号 (初出)
Yahoo!ニュース掲載記事: https://news.yahoo.co.jp/articles/143139caf70d0bc9ef38e9b5e60c6eb36fa43c6c