パレスチナ自治区ガザでの戦闘は開戦から1年半以上が経過し、イスラエル国内では予備役の一部が停戦を求める書簡を公開するなど、厭戦気分も生じ始めている。しかし、ネタニヤフ首相が掲げるイスラム組織ハマス壊滅への支持は依然として根強く、戦闘終結の兆しは見えない。イスラエルはさらにイランへの攻撃も行い、戦線を拡大させている。1948年の建国以降、常に周囲との紛争を繰り返してきたイスラエル。その好戦的な姿勢の背景には、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を巡る教育をはじめ、社会に深く根差した強固な「被害者意識」や「戦いのエートス(気質)」があると社会心理学者のダニエル・バルタル氏(テルアビブ大学名誉教授)は指摘する。バルタル氏にイスラエル社会の集合意識についてオンラインで聞いた。
戦闘の現状とイスラエル国内の分断
ガザ地区では、5万人以上が死亡し、建物の6割以上が破壊されており、赤十字国際委員会(ICRC)の委員長は「地上の地獄」と形容するほどの惨状を呈している。このような状況にもかかわらず、敵対関係にあるとはいえ、多くのユダヤ人がガザの悲惨な状況に無関心であるかのようだ。バルタル氏は、その無関心の理由をいくつか挙げている。
ガザ北部でイスラエル軍の攻撃による煙が上がる様子
心理学者が指摘する「集合意識」の背景
バルタル氏によれば、イスラエル社会の行動様式を理解する上で重要なのは、歴史的に培われた「被害者意識」と「戦いのエートス」という集合的な意識である。特にホロコーストの記憶は、ユダヤ人が常に生存の脅威に晒されているという感覚を強く醸成し、それが外部に対する不信感や、自己防衛のための軍事的優位性を追求する姿勢に繋がっていると分析する。
テルアビブ大学名誉教授ダニエル・バルタル氏の肖像
ガザの惨状への無関心、その理由
ガザ地区の惨状に対するイスラエル国内のユダヤ人の無関心さについて、バルタル氏は主に二つの理由を挙げる。
第一に、イスラエル国内の主要メディア、特にテレビでの報道のあり方だ。ユダヤ人にとってテレビは重要な情報源であるが、イスラエルのテレビはガザの状況について、静止画を示すことはあっても、中東の衛星テレビ局アルジャジーラが流すような街の破壊や市民の死傷に関する生々しい動画をほとんど流さない。このため、多くのユダヤ人はガザで実際に何が起きているのかを十分に認識できていないという。
イスラエル南部のガザ境界近くに配置されたイスラエル軍の戦車
第二に、現在のガザ戦闘が2023年10月7日に発生したハマスによるイスラエル奇襲(10・7攻撃)に対する報復として位置づけられていることだ。10・7攻撃はイスラエル社会において「新たなホロコースト」として感情的に演出され、今もハマス奇襲時の残虐な行為が繰り返しメディアで流される中でユダヤ人は生活している。この「新たなホロコースト」という強力なレトリックが、ガザでの自らの行為によって引き起こされている惨状への目を向けさせにくくしているとバルタル氏は指摘する。
エルサレムのネタニヤフ首相宅近くでデモ隊に放水する警察
集合意識がもたらす紛争の連鎖
バルタル氏の分析は、イスラエルの好戦的な姿勢やガザでの人道危機に対する国内の限定的な反応が、単なる政治的、軍事的な判断だけでなく、ホロコーストの記憶に根差した「被害者意識」や、常に脅威に晒されているという感覚からくる「戦いのエートス」といった社会心理的な要因に深く影響されていることを示唆している。メディアによる情報統制や、10・7攻撃を「新たなホロコースト」と位置づける社会的な動きが、ガザの現実から目を背けさせ、紛争の長期化や拡大を許容する土壌を作り出していると言えるだろう。この集合意識の変容なしには、イスラエルが紛争の連鎖から抜け出すことは難しいのかもしれない。