米価高騰は「異常」か 江戸時代から繰り返される流通の課題

物価高が続く中、特に「コメ類」の価格高騰が顕著となっています。5月の全国消費者物価指数では、コメ類が前年同月比で101.7%の上昇を記録し、価格が2倍を超えました。これは比較可能な1971年以降で最も高い伸び率であり、過去最高値の更新はこれで8カ月連続です。食卓の必需品である米の価格急騰は、国民生活に大きな影響を与えています。

米価高騰は「異常」か 江戸時代から繰り返される流通の課題

依然としてスーパーマーケットでは5,000円を超える銘柄米が見られますが、政府は備蓄米の放出を進めています。小泉進次郎農林水産大臣は、外食産業や学校給食事業者への販売拡大も表明しており、これにより銘柄米の需要が減り、価格が落ち着く可能性が期待されています。一方で、JAなどからは備蓄米放出の拡大が米価の「過度な下落」を招き、生産者の意欲を削ぐとの懸念も示されています。しかし、価格がかつての2倍以上に跳ね上がった状況で、ある程度の価格調整がなぜ「過度」とされるのか、議論の余地があるでしょう。備蓄米放出は、この「過度な」高騰に対する時限的な措置として適切と考えられます。重要なのは、生産者を守りつつ、流通システムの構造的な問題にメスを入れることです。現状では、農家が丹精込めて生産したコメが、最終的な販売価格のわずか3分の1程度の収入にしかなっていないと指摘されています。

減反政策の見直しと並行し、流通プロセスの透明化や効率化こそが、米価を安定させた後に求められる本質的な対策と言えるでしょう。日本の米価高騰は、現代だけの問題ではありません。江戸時代から、流通過程に起因する価格変動が繰り返されてきた歴史があります。

江戸時代の米価問題と幕府の対策

江戸時代において、米の生産量が不足した際に米を買い占め、価格を吊り上げて巨額の利益を得た卸売業者は、「打ちこわし」の標的となりました。特に、現在のNHK大河ドラマでも描かれる天明時代(1781〜1789年)は、米価高騰と打ちこわしが頻発した激動の時代でした。戦後の日本が減反政策で米価下落を防ごうとしたように、江戸幕府もまた米価の下落には神経を尖らせていました。これは、幕府や諸藩にとって年貢米が最大の収入源であり、市場での換金価値が下がると財政が圧迫されるためです。そのため、幕府は積極的に米を買い上げて価格を維持する政策を取りました。資金が不足した際には、裕福な商人や豪農に御用金(現代の国債に類似)を課してまで米の買い上げを行ったのです。

幕府が御用金を用いてまで米を買い上げたのは、主に米が豊作で供給過多により価格下落が懸念された時期でした。これは、現代の価格高騰とは異なる状況への対応でした。しかし、現代の令和と同様に、コメ価格が自然と高騰する、あるいはそれ以上に深刻な状況も江戸時代には発生しました。その最大の原因は、天明2年(1782年)に発生した天明の飢饉です。これは江戸時代の三大飢饉の一つに数えられ、特に東北や関東地方に甚大な被害をもたらしました。

飢饉に追い打ちをかけるように、翌年には浅間山が大噴火を起こしました。これにより周辺地域の農業は壊滅的な打撃を受けただけでなく、噴煙が成層圏まで到達し、地球規模での気温低下を引き起こしました。この時代は世界的に小氷河期と呼ばれ、総じて気温が低かったため、冷害の影響は現代よりもはるかに深刻なものとなったのです。このように、江戸時代の米価問題は、流通の課題に加え、現代以上に厳しい気候変動にも影響されていたことがわかります。

現代への示唆

現代の米価高騰は、単純な豊作・不作だけでなく、物流コストの増加や国際情勢、そして国内の流通構造など、複雑な要因が絡み合っています。江戸時代に流通業者が「打ちこわし」の対象となったように、現代でも市場機能の歪みや特定のプロセスでの過剰な利益に対する批判は起こり得ます。天明の飢饉が気候変動という外部要因によって引き起こされたように、現代もまた予期せぬ事態が食料供給に影響を与えるリスクを抱えています。

今回の米価高騰は、単に価格が高いという問題に留まらず、日本の食料供給の安定性、生産者の持続可能性、そして消費者の負担という多角的な課題を浮き彫りにしています。江戸時代から続く「流通の課題」を歴史から学びつつ、現代の状況に即した抜本的な対策を講じることが、今後の食料安全保障において不可欠と言えるでしょう。一過性の価格対策だけでなく、生産から消費に至るまでの流通システム全体の構造改革が、持続可能な米供給と適正価格の実現に向けた鍵となります。