フリーアナウンサー奥井奈々を育んだ「死ななきゃOK」淡路島でのワイルドな幼少期

フリーアナウンサーとして多方面で活躍する奥井奈々さん。現在はニュース番組のキャスターとして知られ、かつてはNewsPicksの初代キャスターとして年収1000万円を達成した経歴を持ちます。そんな彼女の基盤を作ったのは、18歳まで過ごした兵庫県・淡路島でのユニークな幼少期でした。今回は、その壮絶ともいえる育ちについて語ってくれました。

淡路島でのユニークな幼少期

奥井さんの実家は、一般的な家庭とは少し異なる教育方針を持っていました。ご両親、特にお父様は「幼少期はあまり家を快適にしすぎるのはよくない」と考え、意図的に不便な環境を作り出していたといいます。家の中にはゲーム機やエアコンといった便利なものは一切なく、田舎ゆえに近所にゲームセンターなどもありませんでした。そのため、子供時代の奥井さんは、一人で好きなことを見つけて過ごす時間が多かったそうです。

特に驚くのは、3歳頃まで洋服を着る習慣がほとんどなかったという話です。保育園に通い始めるまで裸で過ごすことが多く、着替えをすることも滅多になかったといいます。着るとしても古着でした。奥井さんの親御さんは、「死ななきゃOK」という教育方針を掲げ、ストレスなく育児をしていたと振り返っています。

狩猟家の父とジビエ育ち

奥井さんの父親は、元々はエンジニアでしたが、脱サラして副業だった狩猟を本業としました。狩猟は高収入が得られる仕事ではなかったものの、獲物を分け前として受け取ることで食費を浮かせることができたそうです。そのため、奥井さんの家庭ではジビエ(野生鳥獣の肉)が食卓に並ぶのが日常でした。奥井さん自身、「ジビエ育ちです(笑)」と語っています。

フリーアナウンサー奥井奈々さんの幼少期を振り返る写真フリーアナウンサー奥井奈々さんの幼少期を振り返る写真

図書館が広げた世界

このようなワイルドな家庭環境について、当時の奥井さん自身は特に嫌だとは感じていなかったといいます。その理由は、本が大好きで、多くの時間を図書館で過ごしていたからです。「タダだし、日中はずっと開いているので、親が私をそこに放り込んで、1日中過ごしていました」と語るほど、図書館は彼女にとって特別な場所でした。

手塚治虫の漫画に没頭する一方で、『世界の生き物』や『宇宙の惑星』といった図鑑も愛読していました。図書館という空間は、淡路島という限られた環境にいながらも、世界中の多様な知識や情報に触れることを可能にし、彼女の視野を大きく広げてくれたのです。図書館での読書体験が、奥井さんの知的好奇心や探求心を育む上で、非常に重要な役割を果たしたことは間違いありません。

このようなユニークで、ある意味で過酷な淡路島での幼少期が、現在のフリーアナウンサー奥井奈々さんの強靭な精神力や、いかなる環境にも適応できる柔軟性の礎となっているのかもしれません。

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