父が内縁の妻と暮らすことになり、小2からひとり暮らしを始めた芸人フジタさん。芸人を目指して実家を出てから20年間の絶縁期間があったそうですが、ある日、突然電話がきて── 。(全3回中の2回)
■我慢ばかりの学生時代を経て、父と絶縁状態に
── 小学校に上がる前に母が亡くなったフジタさん。父はフジタさんが小学2年生のときに、フジタさんの同級生・Kくんのお母さんと恋仲になり、フジタさんをおいてKくんのお母さん(内縁の妻)の家に住みはじめました。
フジタさんは父から週3万円の生活費をもらい、小学2年生からひとり暮らしをしていたそうですが、中学時代はどのように過ごしましたか?
フジタさん:小学校のころは給食が出ましたが、中学生になると弁当を持参することになったんです。僕とKくんは同じ中学校に通っていたこともあり、内縁の妻が僕の弁当を作り、父が毎朝、僕に渡しにきました。でも学校で弁当箱のふたを初めて開けた瞬間「ウッ…!」と強烈な吐き気に襲われたんです。僕からしたら、家族を壊した、諸悪の根源である人が作った弁当だから食べられるわけがない。僕の家族の事情を知っている同級生もいたので、「お前の弁当、誰が作ったんだ」って騒がれるのも嫌で嫌でしょうがなく。ひと口も食べずに捨てました。
── お父さんにはそうした事情はお話しされましたか?
フジタさん:父は暴力的な人だったので、「食べずに捨てた」なんて言うと殴られるから言わなかったですね。もともと何かあると手が出る人でしたが、内縁の妻と一緒になってから理不尽なことでも殴られるようになったので。
── では、お昼ご飯はどうしていたのでしょうか。
フジタさん:「弁当忘れた」って毎日言ってました。でも、毎日忘れるわけないじゃないですか。先生は疑問に思わないのか、僕への扱いが雑なのか。「誰か、弁当わけてあげて」みたいな感じでクラスの人からもらうこともあったかな。