《絶縁20年》81歳の父から突然連絡がきた男性 壮絶な幼少期振り返り「つらい思いさせて悪かった」初めての謝罪受けて


【写真】「絶縁20年間」スキンヘッドにサングラスの強面な父と写るフジタさん(12枚目/全19枚)

── 小学校に上がる前に母が亡くなったフジタさん。父はフジタさんが小学2年生のときに、フジタさんの同級生・Kくんのお母さんと恋仲になり、フジタさんをおいてKくんのお母さん(内縁の妻)の家に住みはじめました。

フジタさん:小学校のころは給食が出ましたが、中学生になると弁当を持参することになったんです。僕とKくんは同じ中学校に通っていたこともあり、内縁の妻が僕の弁当を作り、父が毎朝、僕に渡しにきました。でも学校で弁当箱のふたを初めて開けた瞬間「ウッ…!」と強烈な吐き気に襲われたんです。僕からしたら、家族を壊した、諸悪の根源である人が作った弁当だから食べられるわけがない。僕の家族の事情を知っている同級生もいたので、「お前の弁当、誰が作ったんだ」って騒がれるのも嫌で嫌でしょうがなく。ひと口も食べずに捨てました。

フジタさん:父は暴力的な人だったので、「食べずに捨てた」なんて言うと殴られるから言わなかったですね。もともと何かあると手が出る人でしたが、内縁の妻と一緒になってから理不尽なことでも殴られるようになったので。

── では、お昼ご飯はどうしていたのでしょうか。

フジタさん:「弁当忘れた」って毎日言ってました。でも、毎日忘れるわけないじゃないですか。先生は疑問に思わないのか、僕への扱いが雑なのか。「誰か、弁当わけてあげて」みたいな感じでクラスの人からもらうこともあったかな。



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