ガクテンソク奥田修二「M-1の呪縛」からの解放とTHE SECOND優勝、そしてエッセイへ

芸歴19年、41歳で上京し、2024年に漫才トーナメント『THE SECOND』チャンピオンとなったガクテンソク・奥田修二さん。彼がコロナ禍から書き始めた自身初の著作となるエッセイ『何者かになりたくて』(ヨシモトブックス)が話題を呼んでいます。長年のM-1挑戦、そしてTHE SECOND優勝に至るまでの奥田さんの胸中に、このインタビュー記事は深く迫ります。

ガクテンソク奥田修二さん、『何者かになりたくて』著者、THE SECOND 優勝漫才師ガクテンソク奥田修二さん、『何者かになりたくて』著者、THE SECOND 優勝漫才師

M-1への熱き挑戦と「何者か」への渇望

奥田さんにとって、「M-1グランプリ」は特別な存在でした。彼らが漫才を始めた頃には既にM-1があり、それはまるで高校球児にとっての甲子園のように、漫才師として目指すべき非常に大きな目標だったと言います。「M-1で優勝すれば一人前になれる、何者かになれる」と本気で信じ、結成15年以内という出場資格がある限り、全てをかけて挑戦し続けました。15年にわたるその道のりは濃密で、挑戦を終えた際の喪失感は計り知れないほど大きかったと振り返ります。

喪失感を超えて見つけた「漫才そのものが目的」という境地

M-1という長年の目標と、それに紐づく「何者かになれる」という想いが消えた時、奥田さんは深い喪失感に襲われました。しかし、その期間を経て、「漫才そのものが目的なんだ」と気づいた瞬間が訪れます。その境地に至った時、彼の視界は大きく開け、心が非常に自由になったそうです。これは、M-1優勝という外部からの評価やステータスではなく、純粋に漫才を追求すること自体に価値を見出した、漫才師としての大きな転換点でした。M-1という「呪縛」から解放された感覚は、その後の奥田さんの活動に決定的な影響を与えることになります。

THE SECOND優勝へと繋がる「漫才スタイルの解放」

M-1は、制限時間4分の中で最大限の笑いを詰め込む、ある意味で非常に特殊化された漫才が求められる場でした。しかし、M-1という枠組みがなくなったことで、奥田さんはより自由な発想で漫才を作れるようになったと言います。例えば、M-1では扱いにくかった「ドラえもん」のように誰もが知っている題材でも、少し視点をずらすだけで大きな笑いが生まれる。このような、より幅広い聴衆に響く柔軟な漫才スタイルを手に入れたことが、結成16年以上が対象となる新たな賞レース『THE SECOND〜漫才トーナメント〜』での快進撃、そして優勝という輝かしい結果に繋がった大きな要因だと奥田さんは語ります。

M-1からTHE SECONDへ:漫才師・奥田修二の新たな地平

M-1優勝という目標に全てを捧げた濃密な日々を経て、漫才そのものへの深い愛と自由な発想を手に入れたガクテンソク奥田修二さん。その内面の大きな変化と成長は、『THE SECOND』優勝という形で結実し、新たな漫才師像を確立しました。この波乱万丈な道のりと、そこから得られた示唆に富む気づきは、初めてのエッセイ『何者かになりたくて』に詳細に綴られており、多くの読者に共感と感動を与えています。

出典

https://news.yahoo.co.jp/articles/88a6d19f8d8acac70672f6d8488e9c5b694120e5