Netflixを筆頭に配信作品が次々と生まれ、俳優にはプライベートまで厳しく管理された「整った」姿が求められる現代。多様な表現が薄れ、均質化が進む時代において、俳優はいかにあるべきか。芸歴25年を誇るオダギリジョー氏(49歳)が、この「配信全盛時代の危うさ」と「表現者としてのリアル」について語った。
俳優に求められる「面白さ」とは
オダギリ氏は、そもそも俳優に固定された「役割」があるかは分からないとしつつも、俳優にとって最も必要な要素を言葉にするなら、それは「面白さ」だと断言する。彼の世代から見ると、昭和の俳優たちは生き方そのものが演技に滲み出ており、萩原健一氏や勝新太郎氏のような、荒々しさや生々しさといった独特の魅力に溢れていたという。その人間の「濃度」が、芝居の深みに直結していたと感じている。
配信時代の俳優論について語るオダギリジョー氏
しかし現代は、俳優の私生活にまでコンプライアンスが強く求められ、些細な失敗さえ許されない風潮がある。このような「安全圏」に閉じこもった優等生的な存在から、真に人々を惹きつけ、心を揺さぶるような深い表現が生まれるのか。オダギリ氏はそこに強い疑問を投げかける。教科書通りの真面目な演技も良いが、俳優自身の中に「揺れ」や「危うさ」がなければ、芝居にそうしたニュアンスは決して宿らない。結果として、観る者を予測不能な、目が離せない演技を生み出すことは難しくなる。現代の俳優は、このような挑戦がしにくい環境に置かれているとの認識を示した。
「怖さ」を超えて挑み続ける使命
それでもなお、表現者は心の「怖さ」を乗り越え、未知なるものに挑み続けるべきだとオダギリ氏は力説する。誰も予測できないような、観る者の心をざわつかせる芝居を求め続けることこそが、俳優という存在に課せられた使命だと喝破する。
時代や環境の変化に適応しながらも、自分自身の内面的な豊かさを損なうことなく、むしろ荒波の中に飛び込み、そこで得た経験や感情を表現に昇華させていくべきだという考えを示した。
数字の「正解」に縛られない表現
テレビから配信へとプラットフォームが大きく変化し、日本の作品がかつてないほど世界に届きやすくなった現状についても言及。数字やデータが重視される傾向についても触れつつ、表面的な成功や数字上の「正解」に囚われすぎることなく、表現者としての本質的な探求を続けることの重要性を改めて訴えた。
このインタビューは、エンターテインメント業界の変遷期における俳優のあり方、表現者の矜持について深く考えさせられるものとなった。
参考資料
- Yahoo!ニュース オリジナル記事 (出典:東洋経済オンライン)