お腹を空かせた人に自らの顔の一部を与えて助けるという、他のヒーローには見られない特異な設定を持つ国民的キャラクター、アンパンマン。現在では子ども向け絵本やアニメのヒーローとして広く知られていますが、その初期設定は、現在とは大きく異なる姿であり、子ども向けとしては異質とも言えるものでした。やなせたかしが、スーパーマンやバットマンといった既存のヒーロー像とは異なる形で打ち出したかった「正義」の概念は、その原点に隠されています。本記事では、やなせたかし氏の初期作品から、アンパンマンというキャラクターがどのように誕生し、どのような哲学が込められていたのかを紐解きます。
「アンパンマン」誕生の背景:雑誌『PHP』連載から単行本化へ
アンパンマンの原型が初めて世に出たのは1968年、やなせたかし氏が雑誌『PHP』から依頼された短編童話の連載でした。これは、前年の1967年に同誌に掲載され好評を博した「やさしいライオン」に続く企画です。1969年1月から12月まで連載されたこれらの作品は、翌1970年にやなせ氏と親交のあったサンリオ(当時は山梨シルクセンター)から『十二の真珠』というタイトルで単行本化されました。この本は、やなせ氏の初期の「やなせメルヘン」を集大成した一冊と位置付けられています。やなせ氏は後に、漫画家としてスタートしたが、童話をずっと書きたかったと述懐しています。
初期アンパンマンの姿:スーパーマンとの対比と使命
『十二の真珠』に収録された一編こそが「アンパンマン」でした。しかし、この時のアンパンマンは、ジャムおじさんが焼いた丸顔でつぶあんが詰まったパンのヒーローではありません。丸顔ではあるものの、お腹の出た中年のおじさんの人間として描かれていたのです。
物語の冒頭で、彼はスーパーマンやバットマンといった漫画のヒーローによく似た姿で空を飛んでいると紹介されます。しかし、その上で彼らとは明確に異なる点が強調されます。それは、スーパーマンのようにかっこよくはなく、全身こげ茶色でひどく太っており、顔は丸くて目が小さく、鼻はだんご鼻で、膨れたほっぺたが光っているという描写です。マントを広げて鳥のように飛んではいましたが、なんだか重そうでヨタヨタしている様子が描かれています。
この中年おじさんのアンパンマンが持つ使命は、現在と全く同じものでした。それは、お腹を空かせた子どもたちに焼きたてのアンパンをあげること。「おなかをすかして泣いている ひもじい子どもの友だちだ 正義の味方アンパンマン」という言葉は、この初期設定の時代から一貫して彼の役割を示しています。
子どもたちと触れ合う人気のアンパンマン
やなせたかしの「正義」:飢えた人を助けること
やなせたかし氏は、アンパンマンというキャラクターを通じて「正義」とは何かを問いかけました。彼が打ち出したかった正義とは、シンプルかつ根源的な「飢えた人を助けること」でした。このテーマを際立たせるため、彼はかっこいいコスチュームで空を飛び、明確な悪役を打ち負かすというスーパーマンのような既存のヒーローの意匠を借りながらも、徹底的にそのアンチテーゼとしてのキャラクター像を作り上げました。それが、アンパンを配る中年で太ったおじさんのアンパンマンだったのです。彼は悪を倒すことよりも、目の前で飢えている人を救うことを優先しました。
この中年アンパンマンのキャラクターは、その後数年を経て装いを新たに登場することになります。それが、現在私たちが知っている、幼児向けのあんパンの顔を持つヒーロー「アンパンマン」へと進化していったのです。
絵本作家への転身とキャラクターの進化
1960年代半ばから、やなせたかし氏は活動の主戦場を大人向けの漫画から徐々に絵本へと移していきます。最初の絵本は1965年に岩崎書店から出版された『飛ぶワニ』です。このキャリアチェンジの背景には、当時の漫画界の変化がありました。この頃は「劇画」が全盛期を迎え、おもに大人向けの1コマ漫画や4コマ漫画を志向していたやなせ氏の仕事は減少傾向にあったのです。やなせ氏自身、「ぼくは、これにはもうついていけないと思って、仕事の中心を絵本にすることにしました」と語っています。こうした絵本制作への注力と、飢えという普遍的なテーマへの強い思いが結実し、現在のアンパンマンの姿と物語が形作られていったのです。初期のおじさんアンパンマンから、現在の顔をちぎって与えるヒーローへ。形は変われど、「お腹をすかせた人を助ける」という彼の核となる使命、そしてやなせ氏が込めた「正義」の原点は、一貫して受け継がれています。
参考資料
『アンパンマンと日本人』(柳瀬博一著、新潮新書)