日本遺産「西の都」認定取り消し:太宰府の反応と制度の課題

文化庁が今年2月、福岡県太宰府市を中心とする日本遺産「古代日本の『西の都』」の認定を取り消したことは、地元に落胆と反発をもたらし、観光面への影響が懸念されています。しかし、日本遺産自体の低い知名度も相まって、福岡・佐賀両県の構成自治体間では再申請への温度差が生じています。この初めての認定取り消し事例は、日本遺産制度のあり方にも一石を投じる形となりました。

太宰府市長の「意に介さない」姿勢と背景

「古代日本の『西の都』」は、今から約1300年前に東アジアとの交流拠点として栄えた古代都市をテーマに、30点の文化財で構成されていました。そのうち3分の2を占める太宰府天満宮などの文化財が太宰府市に集中しています。太宰府市の楠田大蔵市長は、今回の認定取り消しに対し「日本遺産であろうがなかろうが、歴史や文化に誇りを持ってアピールしていく」と述べ、意に介さない姿勢を示しています。市によると、取り消し後も観光客は多く、むしろ認定されていたこと自体を初めて知った市民も少なくないといいます。市長は再申請についても「しない可能性もある。日本遺産そのものがどうなのかと問いかけるきっかけだ」と語っており、制度自体の意義に対する疑問が背景にあることが伺えます。

福岡県太宰府市にある日本遺産「古代日本の『西の都』」の構成文化財「大宰府跡」の様子。掲示板には日本遺産のロゴマークが見える。福岡県太宰府市にある日本遺産「古代日本の『西の都』」の構成文化財「大宰府跡」の様子。掲示板には日本遺産のロゴマークが見える。

低い知名度が再申請の足かせに

日本遺産の知名度の低さは、今回の取り消し問題と深く関連しています。文化庁の令和6年度調査では、「日本遺産という言葉を耳にしたことがない」と答えた人が27.2%に上り、「耳にしたことはあるが、制度や認定された文化資源は知らない」という人も37.4%に達しており、実に6割以上の人が日本遺産について十分に理解していない現状が浮き彫りになっています。このような知名度の低さは、地域住民や自治体の制度への関心を低下させ、再申請に向けたモチベーションや、複数の自治体にまたがる連携の難しさにつながっています。

制度の狙いと評価の厳格化

日本遺産は、地域独自の有形無形の文化財を「ストーリー」として結びつけ、その遺産を地域活性化に活用・発信することを目的としています。これは、文化財の価値付けや保存を主眼とする世界遺産や国の指定文化財とは異なる特性です。「西の都」の認定が取り消された一方で、新たに「北海道の『心臓』と呼ばれたまち・小樽」などが選ばれるなど、現在は104件が認定されています。文化庁は、ブランド力と質の維持のため、認定件数を100件程度に上限を設け、令和3年度から継続の可否を審査する評価制度を導入しました。これは、認定を目指す関係団体間の切磋琢磨を促し、地域振興をより効果的に図るための狙いがあります。

まとめ

「古代日本の『西の都』」の日本遺産認定取り消しは、制度創設以来初めての出来事であり、その背景には地元の複雑な感情と日本遺産自体の知名度不足という根本的な課題が横たわっています。今回の事例は、地域活性化を目指す日本遺産制度が、いかにその目的を達成し、広く認知されるべきかという問いを投げかけています。今後の再申請の動向や、自治体間の連携のあり方、そして制度の運営が、日本の文化観光と地域振興にどのような影響を与えるか注目されます。


参考文献