和泉雅子さん死去:日本人女性初の北極点到達者、日活の青春スターとして輝かしい生涯

冒険家であり、かつて「日活三人娘」の一員として人気を博した女優の和泉雅子(いずみ・まさこ)さんが、9日午後1時3分に原発不明がんのため都内の自宅で死去したことが18日、所属事務所の「和泉雅子事務局」より発表された。享年77歳だった。故人の遺志により生前葬が営まれていたため、葬儀は執り行われず、お別れ会や偲ぶ会なども予定されていないという。

今年5月には自宅で倒れ都内の病院に入院していた和泉さんだが、退院後の自宅療養中に体調が急変し、帰らぬ人となった。

芸能界での輝かしい足跡:子役から「日活三人娘」へ

和泉雅子さんは東京・銀座に生まれ、10歳から子役として芸能活動を開始した。石原裕次郎を発掘した名プロデューサー、水の江滝子氏にスカウトされ、1961年に日活へ入社。吉永小百合、松原智恵子とともに「日活三人娘」として数々の青春映画に出演し、絶大な人気を集めた。特に1963年公開の主演映画『非行少女』(浦山桐郎監督)での演技は高く評価され、モスクワ映画祭金賞を受賞する快挙を成し遂げた。日活映画では高橋英樹との共演も多く、印象的な作品を残している。さらに1966年には山内賢とのデュエット曲「二人の銀座」が大ヒットを記録。ヤマト運輸のCMキャラクターとしても広く親しまれた。

冒険家としての偉業:北極点への挑戦と日本人女性初の到達

女優として活躍する傍ら、和泉雅子さんは冒険家としても歴史に名を刻んだ。1989年には、日本人女性として初めて北極点到達という偉業を達成している。この冒険のきっかけは、1984年にテレビ番組のリポーターとして南極を訪れたことだった。この経験から「地球のテッペンに立つ」という夢を抱くようになったという。

初の挑戦は1985年、遠征隊の隊長として北極点遠征に挑んだが、北極点まで残り148キロの地点で無念の断念となった。しかし、その夢を諦めることなく、1989年に再挑戦を決意。カナダ最北端のワードハント島から2台のソリを引き、出発から62日目となる同年5月10日、直線距離800キロを走破してついに北極点に到達した。これは日本隊としては4隊目、そして日本人女性としては初の快挙であり、その不屈の精神と挑戦し続ける姿勢は多くの人々に勇気を与えた。

笑顔で帰国した冒険家・女優の和泉雅子さん(1989年5月、日本人女性初の北極点到達後)笑顔で帰国した冒険家・女優の和泉雅子さん(1989年5月、日本人女性初の北極点到達後)

伝説的足跡を刻んだ生涯

和泉雅子さんは、女優として映画界に華を添え、歌手としてもヒット曲を世に送り出し、そして困難な冒険に挑み北極点に到達した稀有な存在でした。彼女の人生は、常に新たな挑戦を恐れず、自らの夢を追い続けた輝かしい軌跡そのものです。その多岐にわたる活躍と残した功績は、日本の芸能史、そして冒険史に深く刻まれ、後世に語り継がれることでしょう。心よりご冥福をお祈りいたします。

資料参照

  • 報知新聞社