2015年、朝鮮半島統一への「決定的な瞬間」はなぜ活かせなかったのか?中国の視点とドイツ統一の教訓

2013年、北朝鮮による3回目の核実験強行後、中国共産党の幹部養成機関である中央党校の機関紙「学習時報」の副編集長が英フィナンシャルタイムズに「中国は北朝鮮を切り捨てる準備をすべきだ」と寄稿しました。当時、習近平国家主席が政権を握ったばかりの中国指導部は、金正日総書記に続き金正恩第一書記(当時)までが核開発で国際的な騒動を引き起こす現状に、北朝鮮政権への不満を募らせていた様子が伺えます。同年12月には、親中派と目されていた金正恩氏の叔父、張成沢氏が残忍な方法で処刑される事件が発生し、中国指導部のみならず一般の中国人からも「金政権」に対する見直しが始まりました。中国のインターネット上では、金正恩氏を「金三胖(キムサンパン、3人目のデブ)」と公然と揶揄する表現が飛び交うほどでした。この関係性の変化を象徴するように、2014年には習近平国家主席が現職の主席として初めて北朝鮮よりも先に韓国を訪問し、さらに2015年には中国が朴槿恵元大統領に対し、抗日戦争勝利70周年記念行事への出席を求めてきました。

ドイツ統一においてソ連の同意が不可欠であったように、朝鮮半島統一には中国の協力が欠かせません。中朝国境は全長1400キロにも及び、その地政学的な重要性は計り知れません。統一当時、西ドイツは東ドイツ出身のハンス・ディートリヒ・ゲンシャー外相にソ連の説得という重責を託しました。1974年に外相となり、「東方政策(東西和解)」を推進した同氏は、1990年に当時のエドゥアルド・シェワルナゼ・ソ連外相と、第二次世界大戦の独ソ激戦地であったブレストで会談しました。この場所は、1941年にシェワルナゼ氏の実兄が戦死した地でもありました。ゲンシャー外相はシェワルナゼ外相の兄の墓を訪れて黙祷を捧げ、その行動がシェワルナゼ外相の心を動かしました。ゲンシャー外相に同行したシェワルナゼ外相は、ドイツ統一の最大の懸案事項であったドイツの北大西洋条約機構(NATO)残留問題について初めて言及し、膠着状態にあった統一への緊張が解け始めたのです。

2015年、金正恩政権は極めて不安定な状態にありました。中途半端な改革開放の試みと張成沢氏の処刑が引き起こした経済と民心の動揺に加え、血で結ばれた同盟国とされてきた中国との関係も核実験によって悪化の一途を辿っていました。このような状況は、朝鮮半島統一に向けた重要な局面が訪れる可能性を示唆していました。憲法に定められた統一の責務を理解し、その実現に向けて準備を進めることが韓国政府には求められていたと言えるでしょう。朴槿恵大統領が中国の抗日戦争勝利70周年記念行事への出席を決断した背景には、このような地政学的な状況と、中国との関係改善を通じて統一への道筋を探る意図があったとされます。

2015年9月、中国の抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードにて、習近平国家主席、プーチン大統領、朴槿恵大統領が天安門城楼に立つ様子。2015年9月、中国の抗日戦争勝利70周年記念軍事パレードにて、習近平国家主席、プーチン大統領、朴槿恵大統領が天安門城楼に立つ様子。

「学習時報」副編集長による「北朝鮮切り捨て」論のコラムには、「統一」という言葉が明確に登場しています。彼は、「朝鮮半島の統一を促進すれば、韓米日の同盟を瓦解させるのに有利だ。これは東アジアで中国に対する政治的圧力を緩和し、結局台湾(統一)問題の解決にも有利に働く」と述べていました。この発言は、中国共産党が朝鮮半島統一を自国の戦略的利益、特に長年の懸案である台湾統一問題と連携させて考えていることを示唆しています。中国共産党は、台湾統一問題においてこれまで一度も立場を変えたり譲歩したりしたことはありません。

2015年は、中国の対北朝鮮政策の変化と金正恩政権の不安定化が重なり、朝鮮半島統一に向けて新たな地平が開かれる可能性を秘めた時期でした。ドイツ統一の歴史が示すように、隣接する大国の同意と協力は、分断国家の統合において極めて重要な要素となります。当時の韓国政府がこの「決定的な瞬間」をどのように捉え、統一に向けた具体的な戦略に活かせたのか、あるいは活かせなかったのかは、朝鮮半島統一という長年の課題を考える上で、重要な教訓となり得ます。中国の地政学的思惑を深く理解し、国際的な連携を戦略的に構築していくことが、今後の朝鮮半島情勢を動かす鍵となるでしょう。

参考文献