昭和の時代、タクシー会社やガソリンスタンド、飲食店などで広く配布されていた広告マッチは、かつて企業の宣伝ツールとして欠かせない存在でした。しかし、電子タバコの普及や受動喫煙防止法の施行により紙煙草の需要が減少すると共に、マッチを使用する機会も激減。2022年には、広告マッチの代表格であったブック型の紙マッチの生産も終了しました。一方で、近年高まるレトロブームの中、マッチはコレクションアイテムとして再評価され、喫茶店などに残るマッチを収集するコレクターも少なくありません。現代においてマッチはどのような役割を担っているのでしょうか。国内マッチ製造業界で約7割のシェアを占める日東社の専務取締役、大西潤氏に話を伺いました。
日本初の広告マッチ誕生秘話と全盛期の多様性
日東社は1929年7月、兵庫県姫路市東山に小さなマッチ工場として創業しました。当時、日本のマッチ業界は世界的な勢力であったスウェーデンマッチが主流であり、小規模な企業が生き残る道は家庭用マッチと広告マッチ以外にないと判断した2代目社長が、広告マッチの商品展開を始めたのがその始まりです。
広告マッチの生産は1973年に戦後最大のピークを迎えました。当時は喫煙が許されていた宿泊施設に合わせて部屋の形をしたマッチ箱や、バスの形、1970年の大阪万博を記念したものなど、今では見られないユニークなデザインが多数製造されていました。イラストやロゴだけでなく、羽子板、ダルマ、爪楊枝入れ、タバコ、下駄、飛行機など、箱の形状そのものが奇抜な「パロディーマッチ」も人気を博し、そのデザイン性で競い合っていました。
日東社のレトロデザインマッチとキーホルダー。現代でも人気を博すノスタルジックな広告マッチ
時代とともに変わるマッチの役割と現代の挑戦
しかし、マッチの需要は1975年の100円ライター登場により減少の一途をたどります。さらに1973年以降、ポケットティッシュが販促品として街頭で配布され始めたことも、広告マッチに大きな影響を与えました。電子タバコの普及や飲食店など各施設の全面禁煙化が進む現代において、広告マッチ市場は依然として厳しい状況にあります。
しかし、日東社はこれに対応すべく、色とりどりの頭薬に加え、軸木にも色を付けた「スペシャルオーダーマッチ」の製作に力を入れています。広告マッチといえば箱のデザインに注目が集まりがちですが、軸木まで個性を出すことで、より独創的な広告マッチの製作を可能にしています。
令和時代に作られた軸木がカラフルなスペシャルオーダーマッチ。新たな価値を持つデザインマッチの事例
大西氏は、喫煙が規制された令和の時代におけるマッチの使い方について、「お香やアロマキャンドルなどに火をつける道具としてだけでなく、『手に取りたい』『家に飾っておきたい』といった情緒的な価値を届けたい」と語ります。特別な瞬間や記念日に「やっぱりマッチがあると雰囲気あるね」と言われるような提案を続けることが目標だと述べました。マッチの火がゆらめく様は、発売当初から変わらずロマンティックで情緒的であり、現代の「エモい」感覚にも通じるものがあると確信しています。
結論:令和におけるマッチの新たな価値
かつて生活の必需品であったマッチは、令和の時代において、ノスタルジーとレトロカルチャーの象徴へとその役割を変えました。小さく刹那に燃える炎と、その際に漂う香りは、人々にとって「エモい」感情を呼び起こし、特別な瞬間を演出するアイテムとして、新たな価値を創造し続けています。
参考文献
- まいどなニュース「もうすぐ消える「ブックマッチ」が令和にまさかの人気再燃 なぜ?「喫茶店にあると集めてしまう」」