2025年7月20日に行われた参議院選挙では、社会関係資本(SNS)の影響がこれまで以上に注目されました。SNSがデマや誹謗中傷の温床になるという懸念の声は度々聞かれますが、それ以上に警戒すべきは、今後の政策形成への「悪影響」ではないでしょうか。こう語るのは、批評家の物江潤氏です。『SNS選挙という罠 自分の頭で考え直すために』や『デマ・陰謀論・カルト スマホ教という宗教』などの著作を持つ同氏は、この先、「バカの壁」ならぬ「バカのトンネル」が開通する危険性を説いています。この状況は、SNSによって醸成された情動的な「民意」が、いかに選挙そして政策を動かし始めたかという、現代民主主義の新たな課題を浮き彫りにしています。
参政党の躍進が象徴するSNS選挙の変革
どの世論調査も、参政党がこれほど議席を伸ばすという結果を正確に捉えられませんでした。選挙戦前、彼らの躍進を予測できた者は、いったいどれほどいたでしょうか。2025年の参院選が指し示したのは、SNSが情動的な「民意」を醸成し、それが選挙と政策を動かし始めたという紛れもない事実です。周知のように、いつの間にか出現した「外国人政策」という名の主要な焦点が、SNSによって形成されたことは明白でした。物江氏の著書『SNS選挙という罠』でも示されているように、かつてはSNS上でバズっても選挙に大きな影響は与えないと見なされていましたが、いまやその前提は完全に崩れ去っています。
この新しい状況に、いち早く適応できたのが参政党でした。彼らはSNS空間での支持拡大を足がかりに、従来のテレビや新聞といったマスメディアを経由しない形で世論を喚起し、最終的には選挙結果に直結する絶大な影響力を発揮しました。こうした現象は、SNS時代における民主主義の新たな姿として捉えることもできるでしょう。誰もが情報発信し、共感を得られる現代において、かつてのようにマスメディアや論壇だけが「民意」を決定するわけではありません。そのこと自体は、民主主義にとって新しい一歩と言えるかもしれません。しかし、同時にここには非常に大きなリスクが潜んでいます。
日本の主要政党の党首たち。2025年参院選におけるSNS影響下の政治風景を象徴。
「民意」の負の側面を緩和する二つの「クッション」
かつて、「民意」は二種類の「クッション」を通じ段階的にチェックされることで、その負の副作用が小さく、より現実的なものへと洗練されていきました。これにより、感情的な勢いだけで政策が決定される事態を防ぐ機能が働いていたのです。
第一のクッション:言論空間による「民意」の洗練
一つ目のクッションは、新聞、テレビ、論壇誌、そして知識人などが作り出す言論空間です。不透明で多様な「民意」は、この言論空間において明確化され、多角的な視点から議論されることで洗練されていきました。政治家たちは、これらを世論の一部として認識し、政策立案の参考にしていたのです。このクッションには時に政治的な色がつき、情報を歪めることもありましたが、知的緩衝材として機能していたことは確かでした。
第二のクッション:政策形成過程における現実化
二つ目のクッションは、政策形成の過程そのものにあります。例えば、官僚、有識者、様々な利害関係者などが参加する政府会議や与党部会がこれに該当します。ここでは、専門的な知見を持った人々が、抽象的な「民意」を、具体的で現実的な政策案へと落とし込む作業が行われます。これにより、感情論だけでなく、実現可能性や多方面への影響が考慮された政策が作られてきたのです。
「クッション」の必要性と「情動」の危険性
「民意こそが絶対の正義である」と考える人々にとって、これら二つのクッションは「悪」であり「既得権益」であり「抵抗勢力」であるかのように映るかもしれません。しかし、歴史が示すように「民意」が必ずしも理性的な判断を下すとは限りません。むしろ、その時々の感情や情動に突き動かされやすい性質を持つことを私たちは認識しておくべきです。そのことを、私たちは先の戦争における民衆の熱狂と結果から、痛ましい教訓として学んだはずです。
もちろん、「民意」を完全に無視していいはずがありません。だからこそ、乗り越えるべき「壁」としてではなく、負の側面を和らげ、より建設的なものへと変換する「クッション」の機能が重要だったわけです。戦後、日本の「民意」はこれら二段階のクッションを通じて、情動から距離を取りながらも政策に巧みに組み込まれてきたと言えるでしょう。政治家や官僚が時に「民意」から乖離した考えを持ちやすい一方で、一般の人々は専門的な知見が不足しがちです。このような状況に対し、二つのクッションは互いが互いを補完し合うような役割を果たしてきたのです。
結論:SNS時代の民主主義が直面する課題
SNSの普及は、民主主義に新たな可能性をもたらす一方で、従来の「民意」を洗練し、現実的な政策へと変換する役割を担ってきた「クッション」を迂回する危険性をはらんでいます。物江潤氏が警鐘を鳴らす「バカのトンネル」とは、まさにこのような状況を指しています。つまり、情動に流されやすい未精製な「民意」が、専門的な検証や熟慮のプロセスを経ずに直接政策に反映されてしまう状況です。
今後の日本政治においては、SNSが生み出す「民意」の勢いと、熟慮された政策決定のバランスをいかに取るかが、民主主義の健全性を保つ上で極めて重要な課題となるでしょう。感情的な衝動だけで政策が決定されるリスクを認識し、適切な「クッション」機能を現代社会の文脈に合わせて再構築することが、健全な民主主義の維持には不可欠であると言えます。