老舗料亭「船場吉兆」の謝罪会見は、女将の“ささやき”を繰り返す長男の姿が世間の注目を集め、「平成の迷会見」として今も語り継がれています。しかし、その陰で、すべてを失いながらも再び料理の道を選び、どん底から這い上がった一人の男がいました。料亭の三代目として、泥にまみれながらも復活を遂げた湯木尚二氏の壮絶な物語に迫ります。
伝説の「ささやき女将会見」の全貌
『頭が真っ白になったと……真っ白になったと……』――。マイクが拾った女将のささやき声に導かれるように、うつむいた長男は言葉を続けました。「初めての記者会見でして、頭が真っ白になったと……」。時折、視線を泳がせながらも唇を噛みしめる長男に、カメラのフラッシュが攻撃的に浴びせられ、その姿は背後の白いカーテンに焼き付けられるかのようでした。
「船場吉兆」(吉は土かんむり)は、料理研究家として文化功労賞を受賞した湯木貞一氏が祖となる、大阪を代表する高級料亭です。多くの著名人に愛されていましたが、2007年に発覚した食品偽装事件は、当時社会に大きな衝撃を与えました。同年12月10日、不正発覚を受けて行われた謝罪会見には、取締役の湯木佐知子氏と長男で取締役の喜久郎氏、そして弁護士2名が出席しました。この会見こそが、後に「船場吉兆ささやき女将会見」として語り継がれることになります。湯木貞一氏の三女である佐知子氏が、窮する長男にまるで腹話術のようにささやく様子はワイドショーや週刊誌で揶揄され、その強烈な印象は、事件そのものよりも人々の記憶に深く刻まれました。
地面が崩れるような「恐怖」:湯木家内部の動揺
世間の厳しい批判と嘲笑の裏で、湯木家は激しく揺れ動いていました。当時の船場吉兆内部の様子を、次男の湯木尚二氏は次のように振り返ります。「会見の後、兄は母に激怒していました。『なんであんなこと言ったんや! 大失敗だったじゃないか!』と。代表だった父は、『なんでちゃんと管理しておかなかったんや!』と、兄や私を怒鳴りつけました。……あのときの素直な感情は、『恐怖』でしたね」。これまで当然のように踏みしめてきた地面が、音を立てて突然崩れ落ちていくような、計り知れない恐怖に苛まれていたのです。
湯木尚二氏。「日本料理 湯木」を営む、船場吉兆の再建者として知られる料理人。
すべてを失った三代目の決断
翌年、船場吉兆は自己破産を申請し、料亭としての輝かしい歴史に幕を下ろしました。父、母、そして長男が深い失意の中で料理界を去っていく中、湯木尚二氏だけは、この苦境に敢然と立ち向かいました。かつて「老舗料亭の三代目」という輝かしい肩書きを持っていた彼は、当時39歳。船場吉兆の看板を失い、財産は賠償金として全てを支払ったため、職も、金も、そして事業としての家族も失いました。
すべてを奪われた尚二氏の「どん底からの復活劇」は、たった6畳のワンルームから、静かに、そして力強く幕を開けたのです。彼の再起の道のりは、多くの困難を乗り越える粘り強さと、日本料理への尽きることのない情熱によって紡がれていきます。
結び
船場吉兆の食品偽装事件は、日本の食の安全に対する意識を高めるきっかけとなりましたが、その裏で、一族が抱えた重い十字架と、そこから再生を試みた次男・湯木尚二氏の奮闘は、あまり知られていません。彼の「復活劇」は、失墜した信頼を取り戻し、新たな道を切り拓くことの困難さと尊さを物語っています。この先、湯木尚二氏がどのような料理人として、また人間として歩んでいくのか、その動向から目が離せません。
参考文献:
- 宮﨑まきこ. 「ささやき女将」会見の裏で「すべてを失った次男」の”泥だらけの復活劇”とは. PRESIDENT Online. (参照日: 2024年X月Y日). https://president.jp/articles/-/97781
- Yahoo!ニュース. (参照日: 2024年X月Y日). https://news.yahoo.co.jp/articles/f7810a3bfd6f740512fdc770471e2f8a9cef9b55