連日報じられるトカラ列島群発地震。その震源域に位置する悪石島や小宝島の名前を耳にする機会が増えています。地震の被害状況や避難の様子が伝えられる一方で、これらの「絶海の孤島」で人々が実際にどのような生活を送っているのか、その具体的な実情はあまり知られていません。
本記事では、過去5年間にわたり悪石島で小学校教師として赴任し、島民として暮らした片野田隆紀さんの証言に基づき、悪石島におけるリアルな暮らしの様子を深掘りします。地震というニュースの背景にある、秘境の島の日常に迫ります。
秘境への赴任:期待と不安の始まり
離島が多い鹿児島県では、「教員人生において一度は離島勤務を経験する」と言われることがあります。片野田隆紀さんと妻・三智子さんも、かねてより「せっかくなら、秘境のような離島へ行ってみたい」という思いを抱いていました。
その願いが叶ったのは2017年。3月第3週の内示で悪石島への赴任が発表された際、夫婦は「やった!」と喜び合ったといいます。大急ぎで引っ越し準備に取り掛かり、一家5人分の家財道具を8フィートコンテナ(約2.4m×2.4m)にぎゅうぎゅうに詰め込みました。
悪石島への主要な交通手段は週2便のフェリーのみです。鹿児島港を深夜11時に出発し、通常は翌朝9時に到着するはずが、この日は2時間遅れの午前11時に悪石島に到着しました。初めて島の姿を見たとき、そびえ立つ断崖絶壁と人の気配がほとんど感じられない佇まいに、片野田さんは「果たしてここで3年間やっていけるのだろうか……」と不安を感じたそうです。
悪石島に到着したフェリーから見た港の様子。断崖絶壁に囲まれた秘境の島の玄関口、悪石港の風景。
離島生活の洗礼:生活インフラの現実
島には教員用の住宅が用意されていましたが、単身者や家族2名での赴任が多いことから、5人家族の片野田さん一家にとってはかなり手狭でした。赴任初日には、家の中を縦横無尽に走り回る巨大なネズミと遭遇し、「ネズミの洗礼」を受けたと語っています。
片野田さんが赴任した2017年当時、悪石島には銀行、郵便局、保育園、ガソリンスタンド、売店といった基本的な生活インフラがありませんでした。もちろん飲食店も皆無で、病院もありません。2015年の統計では島の人口は79人とされていますが、実際に島に住んでいるのはおよそ60人ほど。文字通り、お互いが全員顔見知りの地域です。給料は現金支給という、現代では珍しい形態も、この島ならではの現実でした。
このような環境下で、島民たちは独自の生活様式を築き、互いに支え合いながら暮らしています。
結び
トカラ列島群発地震という緊急性の高いニュースの陰で、悪石島のリアルな生活は多くの人にとって未知の領域でした。片野田さんの経験談は、都市部とはかけ離れた「秘境」での暮らしが、いかに制約が多くも、同時にユニークで人間味あふれるものであるかを教えてくれます。銀行も病院もない生活、フェリーに頼る交通手段、そして隣人全員が顔見知りという環境は、島の強靭なコミュニティと助け合いの精神を育んでいます。
今回の地震報道を通じて、悪石島という場所だけでなく、そこで営まれる人々の暮らしにも関心が向けられることで、日本の多様な地域社会への理解が深まることでしょう。
参考文献:
- Yahoo!ニュース / 東洋経済オンライン (記事提供元)