現在90歳にして人材派遣会社CEAFOMの代表取締役社長を務める郡山史郎氏は、「人生で今が一番働くことに幸せを感じている」と語ります。ソニーで重職を歴任した同氏の歩みは、定年後の「幸福な働き方」を模索するシニア世代にとって示唆に富むものです。本記事では、その経験と知見から、高齢者再就職における新たな視点を探ります。
ソニーでの重責と定年後の意識改革
郡山氏は、ソニーが米国市場に本格進出した30代後半から重職を歴任しました。1973年には一時米国のシンガー社へ転職するも、1981年にはソニーに復帰し経営戦略本部長に就任しています。特に印象的なのは、1989年9月にソニーがアメリカのコロンビア映画を48億ドル(当時約6700億円)で買収した際、その隠れた目的が「ソニーがアメリカの政財界と直接交流を持つこと」にあったと語っている点です。その後、1995年には60歳でソニーPCL株式会社の代表取締役社長に就任し、2002年まで顧問を務めるなど、ソニーOBとして輝かしい経歴を築きました。
ソニー創業者に影響を受け、90歳で現役のCEAFOM社長を務める郡山史郎氏
しかし、戦争体験やソニー時代に続く郡山氏の「第3の転機」は、定年後の働き方に対する意識改革にありました。65歳を過ぎた頃から再就職活動を開始したものの、かつてはヘッドハンティングが相次いだ「自分のバリューを高く見積もりすぎていた」という現実に直面。「働きたくても働けない」という定年後の厳しい現実を痛感することになります。知り合いの人材派遣会社からは「60代半ばを過ぎると求人はゼロ」と告げられ、自身の市場価値の低さを思い知らされたといいます。
「新入社員」からの再出発と真価の発揮
途方に暮れていた2002年、郡山氏に転機が訪れました。クリエイティブ業界の人材派遣を行うクリーク・アンド・リバー社の社長に「給与も仕事内容も大学新卒と同じ扱いでいい」と申し出て採用され、当時67歳にして新入社員として入社式に参加。45歳年下の新卒たちと共に、文字通りゼロからの再出発を果たします。
しかし、その道のりは平坦ではありませんでした。パソコンが使えない、営業で歩くのが遅いなど、事務作業や外回りで困難に直面。「何でもやる!」という精神で飛び込んだものの、なかなか役に立てないことを思い知らされます。そんな中、「赤字子会社の経営を助けてほしい」という依頼が舞い込みます。「経営ならやれる」と意気込んだ郡山氏は、経費削減と徹底した管理で売上を伸ばし、見事に子会社の経営を正常に戻しました。この実績は高く評価され、会社側からは新入社員の給料でクオリティの高い仕事をしてくれたと喜ばれたといいます。
CEAFOM設立とシニア世代への提言
その後、自身の再就職の苦労経験を活かし、「多くの人が幸せになるマッチングをしたい」との思いから設立したのが人材紹介企業のCEAFOMです。「会社員時代と同じ役職や給料を条件にすると、定年後の求人はまず見当たらない」と郡山氏は指摘します。一方で、「より好みせず、給料にもこだわらずに、目の前の仕事に真摯に取り組む高齢者は働く幸せを手に入れている」と語ります。
3年前に出版した著書『87歳ビジネスマン。いまが一番働き盛り』(青春出版社)では、これまでのべ5000人以上の「定年前後」の中高年と接した経験から、働き方改革と働く側の心構えを綴っています。特に、50代以上に必要なのは「頭の切り替え」であり、プレーヤーから「活躍する若い世代をサポートする役割」に移行できると幸福度が高まり、仕事も見つかりやすくなると提言。「オープンマーケットである転職サイトの広告に惑わされてはいけない」「自分の人脈を使い、とにかく現場に潜り込むこと」と強調します。
さらに、シニア世代が生き生きと働き続けるための3つの「Y」として、「安い(給料にこだわらない)」「やめない(簡単に諦めない)」「休まない(常に活動する)」を遵守することを挙げ、「シニアフレッシュマン」という概念を提唱しています。これは、過去の成功体験や華やかな経歴にとらわれず、別の視点で再びゼロからスタートする意識の重要性を示しています。
結論:過去の成功体験から離れ、ゼロから始める意識
郡山史郎氏の波乱に満ちたキャリアと定年後の挑戦は、まさに「人生100年時代」におけるシニア世代の働き方の多様性と可能性を体現しています。過去の栄光にとらわれず、新たな環境で「ゼロから始める」という意識こそが、年齢を重ねてもなお、仕事を通じて自己実現し、幸福を見出す鍵となるでしょう。自身の経験を惜しみなく分かち合う郡山氏の言葉は、これからのキャリアを考える全ての人々に勇気と指針を与えてくれます。
参考文献:
FRIDAYデジタル
Yahoo!ニュース