映画『葛城事件』が暴く現代社会の病巣:無差別殺人と「加害者家族」の問い

実際に起きた事件や報道をモチーフに生み出された映画は、フィクションでは描ききれない現実の痛みや社会への問いを投げかけます。観る者の心に深く突き刺さり、思考を促すその力は計り知れません。日本ニュース24時間では、実話を基にした「バッドエンド」の日本映画に焦点を当てた連載をお届けしています。第5回となる今回は、家庭の崩壊から無差別殺人に至る悲劇を描き、現代社会の病巣に鋭く切り込む衝撃作、『葛城事件』に迫ります。

『葛城事件』の概要と、理想の家庭に潜む支配

2016年に公開された赤堀雅秋監督の映画『葛城事件』は、一見すると「理想的」に見える家庭の裏側で静かに進行する崩壊と、そこから導かれる悲劇の連鎖を描いた問題作です。主人公・葛城清(三浦友和)は金物店を営み、妻と2人の息子と共にマイホームで暮らす、ごく一般的な中年男性として描かれます。しかし、その内実は清の強圧的な価値観と独善的な家父長制が家族を徐々に蝕んでいく構造的暴力の温床でした。

映画『葛城事件』で主人公・葛城清を演じる三浦友和氏。家庭内の支配的な父親像をリアルに演じている。映画『葛城事件』で主人公・葛城清を演じる三浦友和氏。家庭内の支配的な父親像をリアルに演じている。

無差別殺人へ至る家族の崩壊と社会の影

清の支配下で、家族は次第にその形を失っていきます。息子たちは自我を抑圧されながら成長し、やがて長男は自死の道を選びます。残された次男・稔(若葉竜也)は、孤独と絶望の中で無差別殺人へと走るのです。彼は、家庭にも社会にも自身の居場所を見出すことができず、「誰にも望まれなかった存在」として、自身の痛みを他者に転嫁するしか術がなかったかのように描かれます。

この稔の人物造形には、秋葉原通り魔事件、附属池田小事件、土浦連続殺傷事件、池袋通り魔事件など、近年の凶悪な無差別殺傷事件の加害者たちの姿が複合的に投影されているとされます。赤堀監督は「個人の異常性」ではなく、「社会構造と家庭環境」が作り出した「加害者」の成り立ちに、冷徹かつ徹底した眼差しを向けています。

「加害者家族」が背負う問いと業の深さ

本作の特筆すべき点は、犯人だけでなくその「家族」にまで鋭く切り込んでいる点にあります。息子の犯行により世間の怒りを一身に浴びる父・清の姿は、犯罪者を育てた家庭に社会がどう向き合うべきかという重い問いを突きつけます。被害者遺族だけでなく、「加害者遺族」が背負わされる業の深さもまた、作品を貫く重要なテーマの一つです。死刑判決を受けた稔が獄中で死刑制度反対を訴える女性と結婚するという展開も、社会に新たな波紋を投げかけます。

冷徹なリアリズムが映し出す現代の縮図

全編に漂う息苦しさと閉塞感、そして一切の救済を拒むかのような結末は、観る者に「加害者とは何か」「家族とは何か」「社会はどこまで関与できるのか」という根本的な問いを突きつけてきます。『葛城事件』は、家庭という密室で生まれた暴力の種が、いかにして社会的悲劇へと転化していくのかを静謐かつ緻密に描いた、日本映画における異色の社会派ドラマです。その冷徹なリアリズムと、観客に安易な共感を許さない距離感が、まさに現代の「家庭と社会」の暗部を映し出す鏡となっています。

結論

『葛城事件』は、単なる犯罪映画にとどまらず、現代社会が抱える家族問題や人間関係の歪みを浮き彫りにします。観る者に深い心の傷跡を残しながらも、避けられない現実と向き合う勇気を求める本作は、日本の映画史において重要な位置を占める作品と言えるでしょう。この映画を通して、私たちは改めて、個人の行動の背後にある複雑な要因や、社会全体で考えるべき問題の根深さを問い直すことになります。


参考文献