我妻善逸の「雷の呼吸・壱ノ型」が無限城で示す真価:師・桑島慈悟郎の教えと獪岳との対比

新作劇場版『「鬼滅の刃」無限城編 第1章・猗窩座再来』では、壮絶な決戦の中でキャラクターたちの深い悲しみや過去が次々に語られます。テレビアニメシリーズ「柱稽古編」の終盤で示唆されていた、「雷の呼吸」の継承者である我妻善逸の物語もその一つです。彼はかねてより自分がたった一つの技しか使えないことを嘆いていましたが、この「技の欠損」は、無限城での苛烈な戦いにおいて、計り知れないほどの重要な意味を持ってくるのです。本稿では、その意味を、善逸の師である桑島慈悟郎にまつわる回想と兄弟子・獪岳との対比から深く考察していきます。

「壱ノ型」に秘められた我妻善逸の可能性

泣き虫でお調子者の剣士である我妻善逸は、「雷の呼吸」の継承者です。彼は無限城での戦いに至るまで、その実力をなかなか発揮できませんでした。しかし、戦闘中に緊張のあまり昏倒した時だけ、眠りの中で「強い善逸」へと豹変し、並外れた剣技を披露します。

劇場版『鬼滅の刃』無限城編にも登場する雷の呼吸の剣士、我妻善逸のイラスト。特徴的な黄色い羽織をまとい、日輪刀を構えている。劇場版『鬼滅の刃』無限城編にも登場する雷の呼吸の剣士、我妻善逸のイラスト。特徴的な黄色い羽織をまとい、日輪刀を構えている。

彼の代表的な技が「雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃」(3巻・第23話「猪は牙を剥き善逸は眠る」)です。善逸は、「雷の呼吸」に本来6つあるはずの技のうち、この「壱ノ型」しか使えないことを深く嘆き、必死に他の技を習得しようと努力を重ねていました。しかし、そのような善逸に対し、彼の師である桑島慈悟郎は、次のように励ましの言葉をかけます。

いいんだ善逸 お前はそれでいい
一つできれば 万々歳だ
一つのことしかできないなら
それを極め抜け
極限の極限まで
磨け
(桑島慈悟郎/4巻・第33話「苦しみ、のたうちながら前へ」)

この言葉は、善逸の「欠損」が実は弱点ではなく、彼の可能性を最大限に引き出すための道標であったことを示唆しています。

桑島慈悟郎の教えと二人の弟子:獪岳との対比

桑島慈悟郎は、かつて「鬼殺隊最強」の称号を受け、「鳴柱」として活躍した人物でした。彼が教えた「雷の呼吸」の技は6つあり、その難易度の高さは並大抵のものではありません。彼の弟子は2人、我妻善逸と、その兄弟子にあたる獪岳(かいがく)です。真面目で鍛錬に熱心な獪岳は、怠け者の善逸を疎んでいました。

皮肉なことに、剣技の才にあふれた獪岳は「雷の呼吸」の5つの型を習得できたにもかかわらず、善逸が唯一使える「壱ノ型 霹靂一閃」だけが使えませんでした。対照的に、善逸は他の型を習得できない代わりに、「壱ノ型」を極める道を選んだのです。この二人の弟子が「雷の呼吸」を不完全にしか継承できなかったという事実から、現役時代の“桑島のすごさ”と、「雷の呼吸」がいかに難しい技であったかがうかがえます。そして、善逸と獪岳のそれぞれの「欠損」は、桑島慈悟郎が弟子たちに求めた「真の強さ」の在り方を浮き彫りにします。

無限城編で明らかになる「一つを極める」真意

桑島慈悟郎の「一つを極め抜け」という言葉は、単なる励ましではありませんでした。それは、我妻善逸が「壱ノ型」を極限まで磨き上げることで、他の型を習得する以上の、比類なき強さを手に入れるための指針だったのです。無限城での決戦において、善逸は自らの「壱ノ型」を進化させ、その真価を遺憾なく発揮します。

彼の「欠損」は、特定の型を使えないことではなく、むしろ一つの技に全霊を注ぎ込み、究極の領域へと昇華させるための原動力となったのです。この戦いを通じて、善逸は師の教えの真意を体現し、自身の弱点を強みへと変える、目覚ましい成長を遂げることになります。

まとめ

我妻善逸が「雷の呼吸」の「壱ノ型」しか使えないという特性は、彼の弱点ではなく、むしろ比類なき強さの源泉であったことが、無限城編で明確に示されます。師である桑島慈悟郎の「一つを極め抜け」という教えは、善逸の成長を促し、彼を鬼殺隊の重要な戦力へと導きました。兄弟子・獪岳との対比は、才能の有無を超えて、何を「極める」かという選択が個人の真の力を引き出す上でいかに重要であるかを教えてくれます。善逸の物語は、完璧ではないからこそ、一つの道を究めることの尊さと無限の可能性を私たちに示してくれるのです。