2025年8月29日に「金曜ロードショー」で放送されたスタジオジブリの名作『もののけ姫』は、多くの視聴者の心に深い感動と、登場人物たちの「その後」への問いを残しました。特に主人公アシタカとヒロインのサンの関係は、映画の終わり方から「一体どんな未来を歩むのだろうか」という疑問を抱かせます。自然と人間の対立という壮大なテーマの中で描かれる二人の物語は、単なる恋愛を超え、宮崎駿監督が込めたより普遍的なメッセージを象徴しています。この記事では、公式資料や監督の発言を基に、アシタカとサンの未来に潜む葛藤と、作品全体が問いかける「共存」の意義について深く掘り下げていきます。
「好きだ。しかし人間を許せない」サンの言葉に隠された真意
映画の終盤、シシ神の暴走が収まり、自然が息を吹き返した後の別れのシーンは、『もののけ姫』の中でも特に印象的な場面の一つです。サンはアシタカに対し、「アシタカは好きだ。でも人間を許すことはできない」と告げます。この言葉は、純粋な愛と、人間に対する根深い不信感という、サンの内に秘めた二つの感情を鮮烈に示しています。
もののけ姫に登場するヒロイン、サンが犬神モロに乗り疾走する姿
実は、『もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11』によれば、このサンの言葉はアシタカからの「プロポーズ」に対する返答であることが明かされています。それに対し、アシタカは「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。ともに生きよう」と応じ、サンの表情が和らぐという感動的な場面で映画は幕を閉じます。表面上は希望に満ちた結末に見えますが、宮崎監督はこの二人の未来がそう単純なものではないことを示唆しています。
宮崎駿監督が語る「トゲ」としての葛藤:共存への試練
宮崎駿監督は公式ムック本『もののけ姫ロマンアルバム』の中で、サンの「人間を許せない」という言葉を、「答えが出せないままアシタカに刺さったトゲ」と表現しています。そしてアシタカは、「そのトゲとも一緒に生きていこうと思っている」のだと説明し、二人の関係性の複雑さを強調しました。
監督はさらに、「タタラ場の理屈で言うと、生きていくためには木を切らなければならない。だけど、サンは切るなっていうでしょ。その度に突っつかれて生きていくんだな、アシタカは大変だな」と語っています。これは、異なる価値観を持つ者同士が「ともに生きる」ことの困難さと、それに伴う絶え間ない葛藤を示唆しています。アシタカは、自然を守ろうとするサンと、生活のために森を切り開くタタラ場の人間との間で、生涯にわたる仲介者としての役割を担うことになるでしょう。
異なる価値観が「ともに生きる」意味:モロと乙事主の示唆
『もののけ姫』では、アシタカとサンだけでなく、他のキャラクターの関係性にも「異なる価値観を持つ者同士の共存」というテーマが込められています。例えば、シシ神の森を守護する犬神「モロ」と、巨大な猪神たちの王「乙事主」の関係です。モロが乙事主に対して「少しは話が分かるやつが来た」という一言には、かつて二者が「ちょっとイイ仲だった」というニュアンスが含まれていると監督は述べています。これは、強大な自然の神々ですら、ある種の繋がりや相互理解の可能性を秘めていたことを示しており、人間と自然の関係性にも通じる普遍的なメッセージを含んでいます。
宮崎監督の発言から見えてくるのは、アシタカとサンが「ともに生きる」未来には、多くの試練と葛藤が待ち受けているという現実です。しかし、それは決して悲観的な未来を意味するものではありません。むしろ、「違った立場の者同士(自然と人間)がともに生きるために、多くの試練を乗り越えながらも前に進んでいく必要がある」という、この作品全体を貫く希望のメッセージの象徴なのです。
四半世紀を経ても色褪せない『もののけ姫』は、単なる恋愛の行方やファンタジー物語を超えて、相容れない価値観を持つ者同士が、それでも共存し、より良い未来を築いていくための道とは何かを現代社会に問いかけ続けています。
参考資料
- 『もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11』
- 『もののけ姫ロマンアルバム』 (徳間書店)